苦学生姉妹

中学に入ると時任さんは、スカートを短くしたりピアスを開けたりと、“ささやかな反抗”をした。中学の担任や団地の友達には両親が不仲だということは話していたが、教団の話は誰にも話さなかった。

父親の店は経営不振が続き、少しずつ母親に渡す生活費が減少。娘たちが小学生の頃には、ほとんど父親は生活費を払っていなかった。そのため母親は、パートからフルタイムへと働き方を変えざるを得なかった。

唯一、市営住宅の家賃だけは父親の口座から引き落とされていたが、それすら足りない時があり、母親が支払いの調整をしていたこともあった。

高校に入学した時任さんは、自分で調べて奨学金を数箇所から借り、アルバイトをして、高校の学費を捻出。両親からは一切学費を払ってもらわなかった。大学は看護学部に入学。在学中に就職する病院を決め、その就職先から学費をサポートしてもらう制度を利用し、アルバイトはなるべく時給の高いパチンコ屋や居酒屋などを掛け持ちした。

アルコールを消毒する女性店員の手元
写真=iStock.com/kazuma seki
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そして時任さんが20歳になったとき、ついに両親が離婚。60歳の父親は赤字続きの店をたたみ、自己破産した。

翌年、時任さんは、アルバイト先で後に夫となる男性と出会い、交際に発展。大学卒業と同時に家を出て同棲を開始し、27歳で結婚。2年後に長男を、その3年後に次男を出産。

妹も奨学金をフル活用し、アルバイトを掛け持ちして大学を卒業。妹も医療従事者になった。