自然増減ではマイナスだが、社会増減ではプラス

「社会増減・自然増減についての第2のマトリックス」を使うと、東川町では毎年図表1のような状況になっている。

【図表1】東川町の社会増減と自然増減
出所=『山奥ビジネス

自然増減のマイナス50人を社会増減のプラス100人で相殺し、ネットで50人の人口増加ということが毎年のように続き、ゆるやかな人口増につながっているのだ。

また東川町の出生数は毎年50人前後であるが、小学校入学時には1学年が80人前後になる。つまりそれだけ若い世代の移住による社会増が多いのである。日本全体で人口減少の時代に、東川町ではなぜこのように理想的な形で人口が増え続けているのだろうか。東川町の産業や写真の町への取り組み、東川町にあるスモールビジネスの代表的な事例についてみていこう。

東川町の主要産業は、稲作を中心とする農業と旭川家具製造の木工業、そして観光業である。1895年から東川町(旧旭川村字忠別原野)の開拓がはじまり、その2年後から稲作が始まった。2000年以降は水田の大規模化が進められ、農家の所得が増えたため、農家の跡継ぎがUターンするようになったという。東川町は北海道でも有数の米の生産地となり、「東川米」はブランド米となっている。

また高品質の家具ブランドとして知られる「旭川家具」の工場や工房が東川町にもあり、「旭川家具」の約3割は東川町で生産されている。そして観光業については、東川町には日本最大の国立公園である大雪山国立公園があり、登山客やスキー客が来町する。大雪山国立公園内には旭岳温泉と天人峡温泉という2つの温泉地があり、1980年代に人気の観光地となった富良野や美瑛にも近いため、近年は観光業にも力をいれている。

「写真の町」としてまちおこし

全国でも珍しい「写真の町」のまちおこしについて、話をすすめよう。東川町は開拓90年を記念した1985年に、全国でも例がない「写真の町宣言」をした。1980年代は大分県から始まった「一村一品運動」が注目され、その地域の特産品でまちおこしをすることが全国各地で始まっていた。

しかし東川町では米や木工家具といった特産品ではなく、観光で地域活性化をはかりたいという機運が高まっていた。富良野市がロケ地のテレビ番組『北の国から』が1981年10月から放送されて大ブームとなり、観光客が富良野市に押し寄せていたのだ。富良野市に近い東川町としては、旭岳の麓にある2つの温泉や大雪山系の大自然の素晴らしさをもっと観光客に訴求したいと考えていた。

そんな中、札幌の企画会社から「東川町には被写体になるような美しい自然や風景があるので、写真文化でまちおこしをしてはどうか」という提案があった。写真は東川町の自然や人、文化や暮らしを発信するのには最適で、また写真愛好家も一定数いる。東川町は著名な写真家の出身地でもなく、ましてカメラメーカーがあるわけでもなかったが、1985年に「写真の町宣言」を行い、翌1986年には「写真の町に関する条例」を制定した。