1985年から「インスタ映え」を先取り

今でこそ「インスタ映え」という言葉があるが、1985年に「写真映りのよい町」の創造を謳ったことは、時代を先取りしていたと言える。またこの宣言には「世界の人々に開かれた町」ともあり、写真文化活動を通じて、東川町民が国内外の人たちと広く交流していくことを目指していたことがわかる。

カメラ
写真=iStock.com/ArisSu
※写真はイメージです

それからは東川町の職員は、公務員としてはやったことのない仕事に次々とチャレンジしていくことになる。1985年から写真コンテストを開催するために著名カメラマンや文化人に審査員を依頼し、また大手カメラメーカーに協賛をお願いするために、何度も東京に出張した。バブル経済が始まった1980年代半ばにおいて、北海道の小さな町の職員がこうした営業努力をするのは大変なことだったろうと想像する。

さらに1994年からは全国高等学校写真選手権大会、通称「写真甲子園」を開催している。これは初戦(現在は初戦及びブロック審査会)を勝ち抜いた高校生たちを東川町に招くイベントである。「写真甲子園」では、全国の高校の写真部が初戦を突破するために規定の組写真を提出し、初戦及びブロック審査会を勝ち抜いた18校が東川町に約1週間滞在、東川町近辺の風景や人々を撮影し作品を制作、発表する高校写真部の全国大会である。全国の高校球児が甲子園を目指すように、毎年500校以上の高校の写真部から初戦作品の応募があるという。

町職員が「営業する公務員」として躍動

ここで特筆すべきことは、初戦及びブロック審査会を勝ち抜き本戦大会に進んだ18校については、1校あたり顧問の先生と生徒3名について東川町までの交通費、滞在費を、すべて東川町が負担することだ。

最初の1泊は、東川町の住民の家にホームステイをし、それ以降は(株)東川振興公社の宿泊施設に滞在する。大会期間中の食事も、町の人たちがボランティアで用意するという。すなわち「写真甲子園」では東川町が町民の協力を得て、高校生たちをもてなしているのである。この写真甲子園は25年以上続いている。さらに2015年からは高校生国際交流写真フェスティバルが新たに始まり、タイや台湾などの高校生も参加して交流は世界に広がっているのだ。

「なぜ人口1万人にも満たない小さな町が、これだけ大規模な写真コンテストや写真甲子園を20年以上継続できたのだろうか、特に資金面はどうなっているのか」と疑問を持つ読者もいるだろう。

前述のように写真コンテストを開催するため、東川町役場の職員は東京に何度も出張し、大手カメラメーカーと協賛金について交渉を重ね、また著名カメラマンや文化人に審査員の依頼をしている。門前払いされたこともあったというが、こうした努力を通じて、東川町役場の職員は「営業する公務員」となり、徐々に交渉技術も向上していった。いわば、東川町役場の職員は東京に出張し「越境学習」をすることによって、外からの資金や知恵、人材を東川町に持ち込んだのである。