日本の郊外には、かつて住宅地として分譲されたが、ほとんど人が住まなかった「限界分譲地」が大量にある。ブロガーの吉川祐介さんは、そうした地域の実態をリポートしており、自身も千葉県横芝光町の「限界分譲地」に住んでいる。住み心地はどうなのか。吉川さんの著書『限界ニュータウン 荒廃する超郊外の分譲地』(太郎次郎社エディタス)からお届けする――。
使われなくなって久しい、朽ちゆく遊具
写真=iStock.com/bocco
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周囲から完全に孤立した「限界分譲地」

住みはじめて強く実感したのは、この分譲地は周辺の地域社会から完全に孤立した状態におかれているということであった。

東京から移住してきて最初に暮らした千葉県八街市内の分譲地も、複数の空き地が目立つさびれた住宅地であったが、少なくともその分譲地は地域社会のなかにひとつの「集落」として組み込まれており、入居と同時に近所の人から自治会への加入の誘いを受けている。

戦後の再開拓地であったために近隣に寺社がなく、農村のような祭事こそなかったが、近隣住民との関係性は地方都市の一般的な住宅街と変わるところはあまりなかったように思う。

かたや現在暮らしている横芝光町の分譲地は、当初は別荘地の名目で分譲されたと思われるもので(じっさいにいまも別荘として使われている建物はある)、しかも区画の大半が更地であり、集落とよべるほどの世帯数もない。

そのためか、転入して暮らしはじめても、古い住民の方から町内会や自治会への誘いを受けることはいっさいなく、現在に至るまで、地域の奉仕活動や行事などの声がかかったことも一度もない。

住民を悩ませる自治会加入とゴミ出し

一概に別荘地だからといって自治会のたぐいがないとはかぎらず、近年では定住目的の人が多く暮らす別荘地も少なくなく、そのような旧別荘地では自治会が形成されているケースが多い。

たとえば、僕はブログ記事のための調査の過程で、茨城県の旧大洋村(現・鉾田市)において1970年代から80年代にかけて濫造された古い小さな別荘(別荘といってもほとんど小屋に近い造りだが)を取得していたが、この別荘地にも常住者向けの自治会が存在する。

旧大洋村のこの自治会は、いってみればゴミ集積場の設置のためだけに形成されたような自治会で、つまり別荘地というものは、その性質上、周辺の旧来からの集落との交流がなかなか発生しないので、別荘地に定住しても、自治会への加入やゴミ集積場の利用を断られてしまうケースが多々あるからだ。

ゴミ収集はほんらい、そこに住民票をおいて住民税を納付している住民であれば等しく受けられる行政サービスのはずなのだが、なぜかゴミ集積場の管理を、その利用の可否の判断を含めて地域の自治会に一任している自治体が少なくない(この問題は地方移住時のトラブルとしてしばしば取り沙汰される)。