「見えにくいトイレ」ではいじめも起こりやすい。

そのため、オランダのアムステルダムには教室内からトイレが見える小学校がある。

日本のいじめ対策がいじめの動機(犯罪原因論)に関心を集中させているのとは対照的に、海外のいじめ対策はいじめがやりやすい場所(犯罪機会論)に関心を向けているということだ。こうしたところにも日本の「犯罪機会論」の遅れを見ることができる。

海外には、視覚的に男女の区分が明確で犯罪者が紛れ込みにくいトイレや、ドアをかすかに人影が見える程度の半透明にしたトイレなど、さまざまな工夫が施された「安全なトイレ」がある。詳しくは、防犯写真集『写真でわかる世界の防犯──遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館)を見ていただきたい。

こうした「犯罪機会論」に基づくデザインに対しては、「ジェンダーフリー」の視点から異論を唱える人たちもいる。男女別のないトイレ(オールジェンダートイレ、ユニセックストイレ)の方が望ましいというのだ。しかし、この主張は、有形のハードウエア(はっきり見えるもの)と無形のソフトウエア(はっきりとは見えないもの)を混同していると言わざるを得ない。

そもそも、「ジェンダー」の概念は、生物学的(有形)な「セックス」を、社会心理学的(無形)な世界に持ち込ませないために生まれた。つまりジェンダーは、ハード面の「区別」を否定するものではなく、ソフト面の「差別」を否定するものなのである。

性的マイノリティー(LGBT)やエスニック・マイノリティー(黒人やヒスパニック系などの民族的少数派)の権利運動も、「制度的差別」という社会的ソフトウエア(はっきりとは見えない世界)が主戦場だ。ヘイトクライム(憎悪犯罪)も、アイデンティティーという個人的ソフトウエア(意識しにくい世界)が引き起こしている。

「開かれた学校」の誤解

ハードウエアとソフトウエアの混同は前にもあった。「開かれた学校」という理念が流行したときだ。

「開かれた学校」は本来、ソフト面の「地域との連携」を意味していたにもかかわらず、ハード面の「校門の開放」と勘違いする学校が続出した。その結果、8人の児童が刺殺された大阪教育大学付属池田小事件が発生した(2001年)。門開放の責任を認めた学校側は5億円の賠償金を支払った。

ちなみに、海外の学校ではハード的にはクローズにしているが、ソフト的にはオープンだ。教室には、正規の教員のほかに地域ボランティアがいることも多い。

男女の区別なく、「統一性」のあるトイレを作るなら、海外のように、まずは「犯罪機会論」に基づき、「多様性」を確保するゾーニングされたトイレを作って、その上で付加的にプラスワンとして設置するのが筋である。

「多様性」を犠牲にする「統一性」は、「多元的な価値」を認め合う社会とは相容れない。精神論や感情論に流されることなく、科学的・論理的に問題をとらえたいものだ。

当記事は「ニューズウィーク日本版」(CCCメディアハウス)からの転載記事です。元記事はこちら
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