移動ができるうちに

2019年4月、仕事で関西1泊出張に出ていた河津さんは、帰りの東海道新幹線の車内でうとうとしていると、妻からの電話で目を覚ます。携帯電話を見ると、「呼吸ができない。痙攣している。助けて!」という留守電が5~6件入っていた。

急いで妻に電話をするが、出ない。妻の妹と弟に電話をすると、弟と連絡がつく。弟夫婦が救急車を要請し、妻はかかりつけの大学病院に搬送。河津さんは病院の最寄り駅で新幹線を下車し、大学病院に直行すると、弟夫婦が到着していた。

呼吸ができず、痙攣していた理由は、抗認知症薬を服用したために意識が遠のき、「私、ひとりで死ぬの?」と不安になった妻は、過呼吸を起こしたのだと分かった。

河津さんは、妻の手料理が大好きだった。同居を始めてからずっと、河津さんが退勤時に「これから帰る」とメールをすると、妻からは夕食のメニューが書かれたメールが返ってきていた。だが、この頃からは、体調不良を理由に、送られてきたメニュー通りに用意ができていないことが増えてきていた。

8月になると、10個入りの卵のパックを連日買ってくることや、「家の鍵が見つからない。マンションに入れないから、早く仕事から帰ってきてほしい」と連絡が来ることが続く。

10個入りの卵パック
写真=iStock.com/karimitsu
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そして10月。58歳の河津さんは、55歳の妻の記憶が確かなうちに、そして移動ができるうちに2人で旅行をしておこうと思い、設計事務所を退社。

「“移動できるうち”には2つの意味があります。ひとつは長期移動が可能なうちに。もうひとつは、旅の想い出を記憶に残せるうちに。旅行好きだった私の母親が、血管性認知症になってからは、外出を好まなくなったのを見てきましたから……」

河津さん夫婦は、11月、12月で、軽井沢、京都・大阪、熱海などに旅行。熱海で妻は、「迷子になる」と言って、外湯には入らなかった。熱海の帰りには、バスがトイレ休憩でPAに立ち寄ったときに、妻は財布の入ったバッグを女子トイレに忘れてきた。手ぶらで戻ってきたことに気づいた河津さんは、女子トイレに探しに行くわけにもいかず困っていると、同じバスツアーの女性客が戻って見つけてきてくれた。

「妻が女子トイレに忘れ物をするのはこれが初めてでしたが、2度目からは、トイレから出てきた女性に助けてもらう方法を覚えました。さらに、若い女性や単独行動の女性が比較的協力的であることを学びました」