社会派映画じゃないんです

三浦 山田太一がこの映画の脚本を書いたら、最後に女性を殺さなかったろうなと思うんです。なぜ殺したのかを、ちょっとお聞きしたくて。

 現実はもっと悲惨だということです。これは日々、日常的にあることなんです。少年たちが花火を水平撃ちしてホームレスの家を燃やすなんていうのは、ほんとうに日常茶飯事です。ましてや直接の暴力は少年からだけではなく、ホームレス同士でもあります。映画よりもっと悲惨なことがたくさんある。ひじょうに命が軽んじられている。特に最近、名古屋では多いんです。東京でも、中学生がコンビニで熱湯をもらって耳の不自由なホームレスにぶっかけちゃったりとか、めちゃくちゃな事件が頻繁にある。殺すという表現は、僕にしてみれば、そんなにきついことではないというか、そんなに違和感はないんです。

三浦 そうすると、殺されることで現代の縮図としてちゃんと完結する、と。

 そうですね。だからといって、「これが現代の一画を表現しているのだ。俺は社会派だぞ」という大上段なことはまったく考えていないんです。実際に5年間温めてた企画ですが、「ついに社会派に転身」というようなことはまったくなくてですね。ほんとうにコソコソと撮りたかった。本音で言うと、僕の名前も出したくなかった。出すべきじゃないんじゃないかと思っていて。ひじょうに小規模であっても作品としてひとり歩きしてもらえば、それでいいなとも思っていたし。

三浦 別名で撮らなかったのは、多少は売れないと困るという……?

 ……ということですかね。それなりに原資がかかっていますから(笑)。

三浦 「MY HOUSE」は堤幸彦の社会派宣言ではない、と。

 そう言えば言うほど、自分の過去作を否定することになりますので、それはないですね。もちろん今後も職業作家として、頼まれればどんどん作品を作っていきます。これからも堂々と「SPEC」なり「トリック」なり、オーダーがあれば、もっと過激に暴れたいと思います。

 しかし、このようにある種の社会性を帯びた作品を撮るチャンスがあれば、それは自分の視点ということを大事にしながら撮っていきたいんです。「MY HOUSE」を撮って、社会をテーマにしたものに関しては、より深いところに行きたいという決意も固まりました。社会の片隅シリーズじゃないけれど、例えば今、3人ぐらいしかいらっしゃらないお風呂屋の三助さんですとか、マタギとかいう方々の――。

三浦 職業、生業の映画ですね。

 はい。一方で、ノモンハン事件とか、中村屋のカレーの生みの親のボースさんの話とか、そういう映画も撮っていきたいんです。僕は、現代の日本人がひじょうにいびつな感じがするんです。なぜそうなっているのかというのを、自分なりに解釈できる作品、それがピンポイントで透けて見える作品を、死ぬまでに作りたいなと思っています。もっともっと努力しないと駄目だと思いますが。職業作家でいることは自分の視点を1回封印するわけですけれども。そうではない映画、僕が撮りたいなと思うものも、低予算でいいからずっと撮り続けていきたいという思いは強くなりましたね。