「この冊子を見て、見る目が変わった」
なかなか返事が来ないことに業を煮やしたのか、女性たちは小冊子の第1号を見本として送りつけてきた。これがひとつの転機となる。
谷口氏は、「この冊子を見て、見る目が変わった」と語る。小冊子にはマスキングテープの用途や、透け感や色の組み合わせの効果などが記されていた。この女性たちがマスキングテープを深く知ろうとしていることがわかり、共感を覚えたという。さらに彼女たちが小冊子で、カモ井加工紙が注目していなかったマスキングテープの特性を取り上げていたことにも興味が湧いた。
例えば、小冊子には、鉛筆、ボールペン、フェルトペンなどによる、各種のマスキングテープへの書き味の評価などが記されていた。カモ井加工紙では、工業用の各種の用途に応じたマスキングテープの開発や改善のため、粘着力や引っ張り強度、伸びなどの各種のテストを行っていた。しかし、そのテストの項目に塗料の乗り具合はあっても、筆記具との相性までは含まれていなかった。
あるいは、工業用のマスキングテープは、現場で手でちぎって使われる。そのためカモ井加工紙では、手で真っすぐに切りやすくすることにこだわっていた。ところが彼女たちは、刃物で切ったように鋭角的にはならない微妙な切り口を、「かわいい」と評価していた。
100年前の創業時の事業は「ハイトリ紙」だった
こうして、彼女たちの工場見学は実現した。その際に受けた「オリジナルカラーのマスキングテープを作ってほしい」という依頼にすぐに応えることはできなかったが、谷口氏は「面白いかも」と思ったという。「新しい事業の柱を、自分たちの世代でひとつ立てたい」という、以前から抱いていた思いにつながる可能性を感じたからだった。
カモ井加工紙の創業は、1923年である。この創業時の事業は「ハイトリ紙」だった。高度経済成長期までの日本では、町中でもハエ(ハイ)があちこちを飛び交っており、商店や民家では、追っても追い切れないハエを捕獲するために、ハイトリ紙を室内につるしていた。ハイトリ紙とは、ハエを捕るために、粘着剤を塗布した紙のテープである。カモ井加工紙は、ハイトリ紙のTVコマーシャルを全国に流すトップメーカーだった。
カモ井加工紙が、ハイトリ紙の製造と販売にとどまっていれば、企業としての存続は難しかっただろう。時代の変化のなかでカモ井加工紙は、粘着剤や紙テープ作りのノウハウを生かせるマスキングテープに目を付け、転身を図った。事業の新しい柱を立ててきたからこそ、今がある。
この体験が、新しい事業の必要性への理解につながっていた。とはいえ、どのような事業をはじめればよいかが具体的に見えていたわけではない。この待ち望んでいた可能性が、今、目の前にあるのかもしれない。