イノベーションに市場調査は必要ないか
閉塞感の強い日本の産業に新たな成長を生み出すエンジンとして、イノベーションへの期待はますます高まっている。経済学や経営学の標準的な理解に基づけば、イノベーションが生まれるのは、社会のなかの潜在的な機会を、事業を構成する諸要素の新しい組み合わせ(経済学者ヨーゼフ・シュンペーターのいう「新結合」)によって満たせたときだ。
イノベーションの担い手は起業家である。起業家には個人起業家だけではなく、大企業などにおける社内起業家もいる。イノベーションにあたって起業家がとらえる機会を、「起業家的機会」という。
では、どうすれば起業家的機会をとらえることができるのか。社会のなかに潜在する機会を広く探索し、検証する役割を期待されてきたのは、体系的な市場調査によるマーケティング・リサーチだ。
ところが一方で、起業家たちはマーケティング・リサーチを必要としないという指摘もある(水越康介『「本質直観」のすすめ。』東洋経済新報社、2014年、pp.15~16)。歴史上の起業のエキスパートたちはどのように語っているか。たとえばソニーの創業者の盛田昭夫氏は、「マーケットサーべイには頼らない。『あなたに何がいりますか』と聞いてつくったんでは遅いんですよ」という言葉を残している。アップルの創業者のスティーブ・ジョブズ氏は、「ベルが電話を発明したとき、市場調査をしたと思うかい?」と述べている。
イノベーションにマーケティング・リサーチは無用なのか。この問いに向き合う際に注意したいのは、マーケティング・リサーチという言葉を聞いて私たちがまず思い浮かべるのが、アンケートや販売データなどを用いた“量的調査”だということである。先の盛田氏やジョブズ氏のマーケティング・リサーチをめぐる言葉も、こうした伝統的な量的調査を念頭に置いたものと思われる。