「トランジスタでラジオを」と言って失笑を買った井深大

なぜ戦後何もなかった日本があれほど飛躍できたのか。「何もなかったからこそだ」というのが菊池の答えだ。これは強烈な論理である。翻って、いまの日本はどうだろうか。こだわるものが山ほどある。ソニーをはじめとする巨大化した「総合エレクトロニクス企業」は、内輪の利害から業界内のしがらみまでがんじがらめだ。

もう一つの重要な話は、なぜソニーという「日本の会社」がトランジスタ・ラジオという、純粋にアメリカ製の技術をトランジスタ・ラジオとして商品化し、本家本元のアメリカを出し抜いて大ヒットさせたのかについてである。

ソニーの創業者の一人である井深大は、トランジスタの話を聞くとすぐに、この技術は「自分にとって何なのだろう? 我が社にとって何だろう」と考えた。生まれたばかりで使い途もまだよくわからない技術をあくまでも「自分ごと」としてとらえていたのである。そして何もないときから「トランジスタは、ラジオだ」と心に決めていた。ラジオをつくることが、多くの人びとの喜びなり、楽しみに結びつくのではないかと考えたのである。

非常にいいエピソードが紹介されている。1953年頃、井深がニューヨークに行ったときのことだ。当時アメリカのエレクトロニクス産業を代表する企業、ウェスタン・エレクトリックの重役たちに朝食に招かれた井深は、その席で最近、何に関心があるのかと聞かれた。社交辞令的な質問だったのだろうが、井深は即座にこう答えた。「トランジスタでラジオをつくろうと思って」。すると周りがいっせいに大声で笑った。素朴な少年の夢物語を大人たちが面白がっているような様子だったという。

トランジスタは最先端の革新的な技術で、それだけにまだわかっていないことも多く、性能は不安定だった。それで民生品のラジオをつくるなんていうのは、どうかしているんじゃないのか、というふうに受け止められたのだ。やめておいたほうがいい、と井深はアメリカ人から何度も忠告されたという。