「何であるか」は「何でないか」で理解する

一橋大学大学院 国際企業戦略研究科教授 楠木 建
1964年東京生まれ。1992年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部助教授および同イノベーション研究センター助教授などを経て、2010年より現職。専攻は競争戦略とイノベーション。日本語の著書に、『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)、『知識とイノベーション』(共著、東洋経済新報社)、監訳書に『イノベーション5つの原則』(カーティス・R・カールソン他著、ダイヤモンド社) などがある。©Takaharu Shibuya

石原莞爾が想定した決戦戦争は、予想した1970年になっても起きなかった。その最大の理由は核兵器の登場であろう。石原も「原子核破壊による驚異すべきエネルギーの発生」を活用した兵器の破壊力は「瞬間に戦争の決を与える力ともなるであろう」と予測していた。しかしその後現実のものとなった核兵器は、彼の想像以上の破壊力をもつことになった。人類を滅亡させるほど凄まじい兵器であったため、決戦ではなく冷戦になったわけである。現実に起きたことは違っているが、ある意味でその後の軍事史は石原の戦略ストーリーに沿って動いたのである。

最終戦争という構想の是非や、それがどの程度正確に現実を予想していたかということに関心があるわけではない。石原莞爾という突出した人物が、とんでもなくナショナリスティックで、滑稽なぐらいに壮大な話をしているにもかかわらず、その論理においてはわりと鋭く本質を言い当てている、そこが興味深いのである。最終戦争論の中身それ自体は時代のあだ花かもしれない。しかし、この本からは学ぶべきことは少なくない。それは時代を超えて通用する戦略を構想する人がもつべき思考様式である。

石原という人が面白いのは、何かを考えるときに、必ずそれが「何ではないか」を考えているということだ。いつも頭の中「A」と「Aでないもの」の2つの対立する概念があり、それが思考のエンジンになっている。石原の構想の中核部分にあるのは、戦争を「決戦戦争」と「持久戦争」という2つのタイプに分け、それを対比することによって戦略を考えるという思考様式である。

決戦戦争の目的は敵の殲滅であり、統帥が第一である。持久戦争は、文字通りだらだらと長引く戦争で、その間の要所要所での政治の駆け引きがものをいう。このように、何かを考えるとき、それが「何ではないか」を合わせて考えると、ひとつひとつの思考がソリッドになり、ものごとの本質が見えてくる。何かを主張するときに、それが何ではないかがはっきりしている。なぜそうなのかという論理についても、必ず決選戦争と持久戦争の違いに立ち戻って説明する。石原の戦略構想が明解なのは、決戦戦争と持久戦争という2つの理念型の対比が、常に思考のバックボーンになっているからである。