余談だが、昭和の時代になっても、将校が「気を付け!」と言うときに剣を抜いていたのは、傭兵を使っていたときの名残だと石原は指摘している。傭兵に対しては「言うことを聞かないと切るぞ」という専制的な支配が必要だったのである。敬礼の際、「頭(かしら)、右!」と言って刀を前に投げ出すのも、「刃向いません」という従属の証で、これも傭兵時代の名残である。「イチニ、イチニ」と歩調をとって歩くのも、傭兵の臆病心を抑え付けて、前進するためのものだったという。つまり王同士の戦争の時代に軍隊のさまざまなシステムが出来上がったというのである。

持久戦が支配的だった理由として、傭兵と並んで重要な要素は兵器の技術的水準である。兵器の破壊力や精度が十分でないと、必ず戦いは膠着して持久戦になる。時代が下って第一次世界大戦になると、ドイツは意図としては決戦戦争をやるつもりであり、決選戦争として戦略を立案した。ドイツの戦略は当初は有名な電撃作戦として功を奏した。しかし途中で大戦が持久戦化したため、読みがはずれて敗北する。なぜ持久戦になったのか。兵器(とくに航空兵器)の技術や性能がいまだ十分に強力でなかったため、地上の塹壕戦になって戦いが長引いてしまった、というのが石原の解釈である。

ナポレオンは、持久戦が主流の時代に一気に決戦戦争へ舵を切った。石原によれば、ナポレオンの強さは戦争方法のイノベーションにあった。このあたりの石原の洞察力も冴えまくっている。

フランス革命後、徴兵制を敷いたフランスでは、「自由平等の理想と愛国の血に燃えた青年」たちによって、士気の高い軍隊を得た。しかしながら、先ほども述べたように、横隊戦術は技術的に高度なプロの兵隊向けの戦い方なので、いきなり素人をかきあつめてきても実践できない。必然的に軍隊は縦隊になる。また、国民軍となったため、地方物資を徴発することが可能となり、軍がより身軽に動けるようになった。ナポレオンはその天才的頭脳により、これら三要素を総合して一挙に敵を殲滅させる決戦戦争を展開した。持久戦があたりまえだった時代におけるこの戦略の威力はすさまじく、ナポレオンは軍神としてその名を欧州じゅうにとどろかせた。