ベストプラクティスより歴史的な視点

もうひとつ、この本から学べる戦略家の構えとして大切なことは、歴史的な視点の重要性である。戦争にしても企業経営にしても、戦略は常にそこに特殊な文脈に依存している。だから一般的な法則や「ベストプラクティス」は役に立たない。この連載で繰り返し強調している論点である。特定の文脈のなかでそこに特殊なロジックでストーリーを構想するためには、歴史はまたとない教材を提供してくれる。歴史は埋め込まれたロジックの宝庫である。歴史上の出来事はすべて「一回性」という特徴を持っている。その時空間の文脈の中でしか起き得ない。その文脈でどうしてそのようなことが起き、ある結果をもたらしたのかを論理的に考察する題材として、歴史は最高に優れているのである。

最終戦争論
[著]石原莞爾
(中央公論新社)

歴史理解という点で、石原はずば抜けている。彼が研究したのは、フリードリヒ大王とナポレオンによる戦争である。石原にとっての歴史はあくまでも戦略構想の「手段」でしかなかったので、学者のように広範な戦史研究をしているわけではない。石原の歴史研究はこの傑出した2人の戦争指導者がとった戦略の本質を見抜くことに集中していた。

構想のベースにある、決戦戦争と持久戦争という2つの理念型の対比にしても歴史を振り返ることで出てきた発想である。その時代時代で支配的な戦争のモードが、決戦から持久へ、持久から決戦へ、決戦から持久へ、と切り替わりながら、スパイラル状に最終戦争へと向かっていく。これが石原の歴史理解から得た洞察である。『最終戦争論』の構想は全面的にこの洞察に依拠している。

ギリシャ、ローマなどの古代の戦争は決戦戦争の色彩が強かった。ところが中世から支配的な戦争モードが徐々に持久戦争に移り、18世紀から19世紀は、ほぼ全面的に持久戦争の時代となった。なぜか。石原はその理由を傭兵制度と戦争技術に求める。この辺の論考が滅多矢鱈に面白い。

18世紀以降の戦争は、君主たちが領土の所有権をめぐって戦う王様同士のゲームのようなものだった。庶民には関係のない戦争なので、戦力は傭兵に依存せざるを得ない。傭兵を使うと経費がかさむ。君主は高価な傭兵を惜しんで決戦を回避する。持久戦争になるという成り行きである。

この時代の持久戦争の最大の名手として、石原は七年戦争(1756-1763年)に勝利したフリードリヒ大王に注目する。傭兵時代の戦術は、横隊が主流だった。横隊は非常に指揮が難しい。縦隊で分散的に動いた方がよっぽど指揮が楽だし、軍隊も動きやすい。しかし当時は戦力を担うのがなにぶん金で雇っている傭兵であるため、縦隊で戦うと肝心な場面で逃げるおそれがある。だから横一列で統一的な指揮の下に「突撃!」とやらざるを得なかったのである。フリードリヒ大王は傭兵に依存した横隊戦術の天才だった。