もし石原莞爾が経営者だったら?

以上、駆け足で見てきたように、石原は持久戦争と決戦戦争という2つの戦争を理念型として対比させ、戦史を動かした原動力を傭兵や兵器といったきわめて実質的な因果論理で読み解きながら、ことの本質に迫っている。歴史的考察からカギとなるコンセプトを帰納的に導出し、そこから論理的に構想を組み立てる。こうした石原のスタイルは戦略構想の王道といえる。

もし彼が軍人ではなく、戦後日本の企業経営者だったらどんな人生を送っただろうか。もちろん戦争とビジネスは別物だ。戦争は「勝つか負けるか」。しかし、ビジネスには複数の勝者がいる。どちらも「勝ち」ということも普通にある。しかもビジネスに決戦戦争はない。持続的な差別化による長期利益を目指すのがビジネスであり、定義からして持久戦になる。石原の思考は「最終的には敵を殲滅する」という徹底的に戦争向きであり、これがそのままビジネスに置き換えられるわけではない。ただ、彼の知性と構え、思考様式をもってすれば、とんでもなくセンスのいい戦略構想が出てきたような気がする。

もう一つの「もしも」は、石原莞爾が失脚せず、戦争指導をしていたらどうだったのか、である。石原を失脚させた東条英機は、石原よりはるかに格下の、担当者レベルの人物でしかなかった。冷徹なリアリズムと歴史から抽出された骨太のロジックを併せ持った石原であれば、あのタイミングでは開戦しなかっただろう。開戦を余儀なくされても、機をとらえてすぐに引いただろう。いずれにしても、多くの人が言っているように、東条が石原だったら、歴史は大きく変わっていたはずである。

ただ、それで彼の戦略ストーリー通りに事が運び、予測したとおりに1970年ぐらい(僕が小学生のころだ)に世界最終戦争が起きていたら、それはそれで最悪ではある。僕も中年になってこんな悠長な仕事はしていられなかったに違いない。

東條と対立していた石原は極東国際軍事裁判では戦犯に指定されなかった。戦後の彼は一転して平和主義者となり、政治に関わることもなく、1949年8月15日、終戦記念日に60歳で死んだ。一見すると極端な戦争主義から平和主義への180度の転向に見えるが、石原の心境としてはそうではなかったと僕は思う。あの時点で太平洋戦争に突入した時点で石原の構想した戦略ストーリーはぶち壊しになった。石原の意に反した時機での準決勝でコテンパンにやられた日本はもはや世界最終決勝戦どころではない。日本にとっての戦争は意味を喪失した。彼の構想からして、平和主義者になるのが論理的に自然な帰結だったのではないか。

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