アメリカではトランジスタが誕生したあと、4つのプロジェクトを組んで、ガッチリと体制を固めて、研究を進めていた。1つ目は半導体の物理学的な研究、2つ目がトランジスタの性能を改善するための研究、3番目がトランジスタの製法、そして4番目が真空管に慣れた技術者を再教育する研究だ。つまり、アメリカでは大局から方針を立てて、それに合った計画をつくり、予算を配分し、分業して研究活動を行っていた。そんなアメリカからすれば、まだその性能や制御について充分な研究がされていなかったトランジスタをいきなりコンスーマー向け商品のラジオに使うなどとんでもないことだ。
日本はアメリカのように大プロジェクトを機能別に分けて推進するような人材も予算も何もなかった。井深が勝手に「トランジスタはラジオだ」と決めて、それがすべてだった。これはアメリカ企業とソニーのどちらが優っていたかというレベルのことではなく、社会の「持ち味」にかかわることだと菊池は書いている。社会の持ち味の違いがソニーの成功を生んだのである。持ち味の異なるアメリカを単純に後追いして、プロジェクトを走らせて研究を段階的にすすめていたら、今の日本のエレクトロニクス産業はなく、日米半導体摩擦のようなことも起きなかっただろうと菊池は言うのである。
この本の後半に、やはりソニーが世界に先駆けて商品化したCCDカメラ技術の開発の経緯が載っているが、このときも技術の原理が提唱されただけで、実用化を考える段階にはないときにプロジェクトにゴーサインを出している。重要で難易度の高い目標に直感的にコミットし、しかもいったんやると決めてからの集中力がすごい。これを菊池は「触発型」の活力と呼んでいる。アメリカの分業型大プロジェクト主義とはある意味で対極にあるやり方だ。アメリカ的な技術開発は、最終消費者の姿が見えないが、日本的な技術開発には、とくにエレクトロニクス産業の場合、最初から消費者が最終製品を使うイメージが視野に入っていた。面白い商品を期待し、新しいものが出たら使ってみようという消費者の日本の消費者の旺盛な好奇心も、高度な技術が短期間に商品に落としまれる土壌となった。菊池はこれを「社会の持つ知的な活力(mental temperature)」という言葉で表現している。これにしてもどちらが活力に優れているかという話ではない。活力の「出どころ」の違いである。