天安門事件はあまり「天安門事件」とは言わない
もうひとつの理由は、中国語オタクや歴史オタクとしての個人的な違和感だ。実は「天安門事件」という単語は、もちろん中国語として意味は通じるし実際の使用例もあるが、この表現を使う中国人はあまり多くないという問題がある。
すなわち、中立的な呼称ならば、事件の発生日に由来する「六四(事件)」や「六四天安門事件」。中国当局寄りの見解から言及するなら「八九年政治風波」(=1989年の政治トラブル)。反当局的な立場から言うなら「六四鎮圧」や「六四屠殺」「六四血案」(=6月4日の虐殺)あたりの書き方が普通である。
事件を表記するのに、漢字で「天安門事件」とだけ書く用法が最も一般的なのは、実は日本語世界だけだ。
ちなみに余談を述べると、天安門事件の実態は「天安門広場を占拠していたデモ学生を、あらゆる手段を用いて無血退去させよと命じられた人民解放軍が、広場に向かう途中の市内各地で、進撃を妨害した市民や学生を武力排除・殺傷した事件」である。なので、「天安門事件」よりも「六四事件」のほうが、より事実に即した表現だったりする。
「政治的に正しい天安門事件」も存在する
また、ややこしい話として、実は「天安門事件」はふたつある。すなわち、1976年に周恩来の追悼と四人組政治への反発を理由に天安門広場に集まった市民が暴力的に排除された「第1次天安門事件」(四五事件)と、1989年の「第2次天安門事件」(六四事件)だ。
しかも、第1次については、鎮圧を行わせた文革派グループ(四人組)がその後に失脚したことで事件の名誉回復がおこなわれ、中国共産党が肯定的な評価を確定させている。
つまり、中国には「政治的に正しい天安門事件」と「正しくない天安門事件」のふたつが存在する。そのため、やや苦しい理屈になるとはいえ、「天安門事件」という単語だけならば、実は現代の中国においても完全なタブーとは言えない(第2次であることを指す「六四天安門事件」ならば禁句になるが)。