ネットに広まった「中国人よけのおまじない」
近年の中国で、強力なインターネット検閲体制が敷かれていることはよく知られている。中国国内では、海外サイトへのアクセスが大幅に制限されているほか、政治的に敏感な意味を持つ様々な言葉がネット上で禁句となっており、自由に検索したり、SNSでつぶやいたりできない仕組みが作られている。
詳しくは省略するが、中国のネット検閲はおそらくディープラーニングなどを活用した機械的な技術と、人力の双方でおこなわれている。年々前者の割合が上がり、その精度も向上しているようだ。現代中国史上の大きなタブーである天安門事件は、当然ながらフィルタリング対象の単語となる。
ゆえに7~8年前から、日本の同人誌・ネット絵師界隈では「天安門事件」という言葉をプロフィール欄や作品内に意図的に含めることで、無断コピーを防げるとするテクニックが知られてきた(残念な事実として、ネット上での著作権侵害行為は、中国大陸の人たちによるものがかなり多い)。
ちなみに、天安門事件が日本のネット上で奇妙な使われ方をするようになったのは、おそらくゼロ年代後半の『2ちゃんねる』あたりが発祥だ。「中国人よけのおまじない」といった表現で、ネット右翼系のコピペ爆撃がしばしばおこなわれていたのである。
やがて、2010年代初頭には由来がなかば忘れられ、政治的意味の薄い「魔法の呪文」として、同人・絵師界隈にも定着するようになった。2015~16年には某同人サークルが、無断転載に対抗するネタとして故意に尖閣諸島や天安門事件を作品の題名に含めたり、女の子に迫る「竿役」のおっさんを習近平や毛沢東そっくりに描くなどして話題にもなっている。
著作権侵害を防げれば、なにを言ってもいいわけではない
ただ、「天安門事件」という“魔法の呪文”の効果は完全には否定しないのだが、私はこの風潮にちょっと違和感も覚える(以前に同人界隈と「天安門事件」がらみの問題を面白がる記事を書いたこともあるので、なかば自戒をこめてだが)。
違和感の最大の理由は、天安門事件でおそらく数千人以上が死亡していることだ。また、戦車に轢かれて手足を失ったり、子どもや友人を亡くしたことで心を病んだり……といった、間接的な被害に現在もなお苦しむ人も、おそらく数千~数万人単位で存在する。非常に重い問題なのである。
中国人による著作権侵害の防止を目的として「天安門事件」を持ち出す行為は、たとえば日本人出張者の酒癖の悪さやセクハラのひどさに辟易した海外の飲食店が、日本人避けを目的に「福島原発メルトダウン」や「広島八・六原爆投下」などと書いた張り紙を店先に出すのと、感覚的にはかなり近いものがある。
もちろん、著作権侵害なりセクハラなりは憎むべき行為なのだが、それを避けるために、多くの人の生命を奪ったり人生の歯車を狂わせたりした事件の名前を、ことさらに持ち出さなくてもいいはずだろう。