「鉄の女」と呼ばれた英国のマーガレット・サッチャー元首相、ドイツのゲアハルト・シュレーダー元首相も同様に失業の山を築いて産業を強くした。どちらもやはり退任する頃の評判は悪かった。改革の恩恵を受けたのは後の首相たちだ。英国ではジョン・メージャー元首相やトニー・ブレア元首相であり、ドイツではアンゲラ・メルケル前首相の頃だ。

私が安倍氏を政治家としてまったく評価していないのは、日本に最も必要な「痛みを伴う抜本的な規制改革」を何一つ進めなかったからだ。一時的に失業の山を築いてでも、規制を撤廃して、衰退著しい日本の産業を立て直そうとしなかった。むしろ、規制を固める方向に進んだ。19、20世紀の古い経済学に基づいたアベノミクスも、高齢化し低欲望化した日本では成果は出なかった。史上最長の安定した政権だったはずなのに、労働生産性が上がることはなく、1人あたりGDPの世界ランキングは低迷し、日本人の給料も上がらなかった。

戦後の首相の中で国家への貢献が最も大きかったのは、安倍氏ではなく中曽根康弘氏だと思う。

私が中曽根康弘氏を高く買うのは、中曽根内閣(82~87年)で三公社五現業(日本国有鉄道・日本電信電話公社・日本専売公社・郵便・国有林野・紙幣等印刷・造幣・アルコール専売)を民営化したからだ。痛みを伴う改革だから、すさまじい抵抗や妨害があったが見事に成し遂げた(日本郵政は、その後の小泉政権が実現)。

外交の功績も大きかった。特に日米関係を「イコールパートナー」にすることへの思いが強かった。中曽根氏が東京・日の出町の別荘(日の出山荘)にレーガン大統領を招いたときは「ロン・ヤス会談」といわれ、日本の地位向上など実績を多く残した。

国際的評価が高いというカラクリ

安倍元首相も、事件後の報道を見ると外交が高く評価されたといわれるが、冷静に振り返ると今日に残る成果はあまり見当たらない。

例えば、トランプ前大統領とは先進国の中では唯一、趣味のゴルフで仲よくなったようだが、日米関係は「イコールパートナー」というよりはむしろ、過剰にへりくだっていた。

安倍氏は首相就任当初は、「戦後レジームからの脱却」を唱え、憲法改正やGHQ占領時代の“評価”などを訴えていた。ところが、アメリカ政府から警戒されて距離を置かれ始めると、一転アメリカ政府のご機嫌を最優先するようになった。米国議会や真珠湾で「民主主義を教えてくれたのはアメリカだった」などと、アメリカ人がうっとりするような演説をする始末だった。首相引退後も、(軍需産業がバックにいる)アメリカ政府から「日本はもっと軍事費の負担をしろ」と言われれば、安倍氏は「対GDP比2%」の防衛費増額を声高に訴えていた。