李登輝を「生粋の親日家」と考えるのは無邪気に過ぎる
【佐藤】台湾のトップとしての李登輝にとって、「親日派」でいることのメリットは明白でした。日本を、対中国をはじめとする安全保障の盾に使うことができますから。
【池上】バックにはアメリカが控えているし。
【佐藤】もう一つ。台湾で「反国民党」や「反外省人」を公言することは憚られますけど、「親日」という“イソップ寓話”を語ることによって、結果的にそのメッセージを発信することもできるわけです。
【池上】なにも日本を貶めようというのではなく、何度も言うように、命懸けで勝ち取った民主主義を守り、自らの「国」が生き延びる方策として、そのように振る舞うこともあった。
【佐藤】あえていえば、それは「正しい」のです。他方、受け取る側は、そうした相手の真意を踏まえた上で、外交を構築していかなければいけない。ですから、李登輝のような人を生粋の親日家と考えるのは、私に言わせれば無邪気に過ぎるというか、勘違いも甚だしいと感じるのです。特に政治に携わる人間は、こういうことを額面通りに受け取ってはダメだと思うのです。
【池上】しかし、多くの日本人は、疑問の余地なくそう受け取っているでしょう。そこに、「与えられた民主主義」の国の弱さがあるのかもしれませんね。
「複合アイデンティティー」も大きな武器に
【佐藤】そう述べながら、矛盾するように捉えられるかもしれませんが、彼は「日本人」でもあったと感じるんですよ。李登輝は、2007年6月に、太平洋戦争で戦死した兄が祀られる靖国神社を参拝しました。当然、中国の反発などが予想されましたが、それでもなお靖国に行ったわけです。
【池上】日本の保守へのアピールというのは、当然あったのでしょう。
【佐藤】彼にそうした意図があったことは、間違いありません。ただ、同時に、本当にそこに兄がいる、という感覚も持っていたのではないかと思うのです。私事で恐縮ですが、沖縄で生まれ育ち、社会党支持者であり熱心なプロテスタント教徒だった私の母親は、隠れて靖国神社に出かけていました。
【池上】ほう、そうなんですか。
【佐藤】母には、戦時中に手紙を託された日本兵たちも、自分の姉も、そこにいるんだ、という感覚がありましたから。
だから、「兄に会いに靖国に来た」という李登輝の言葉には、偽りがないように感じるのです。実際、李登輝の中には、台湾人のアイデンティティーとともに、日本帝国臣民のアイデンティティーも染みついていて、局面によっては、そちらが滲み出てくるわけです。
【池上】政治家としてのプラグマティズムの行使とは別の次元で、「つくりもの」ではないアイデンティティーが顔をのぞかせる、と言えばいいでしょうか。
【佐藤】その通りです。つまり、単一ではなく「複合アイデンティティー」の持ち主。そういうところも、彼の大きな武器になっていたと思うのです。