台湾の李登輝・元総統は、生前「親日家」として広く親しまれていた。2007年には中国や韓国の反発を押し切って、靖国神社にも自ら参拝している。そこにはどんな意図があったのか。池上彰さんと佐藤優さんの共著『組織で生き延びる45の秘策』(中央公論新社)より一部を紹介しよう――。(第4回)
李登輝りとうき(1923~2020)
初の台湾出身の総統。日本統治下の台湾に生まれ、京都帝国大学に進学し、太平洋戦争中は旧日本陸軍に入隊。戦後は台湾に戻り、大陸側が組織する中国国民党に入党して政界入りする。1988年、台湾出身の初の総統に就任。台湾の民主化を進め、直接選挙の導入を実現。2000年まで総統を務めた。日本では、親日派として知られる。

国民党の守旧派からも、中国当局からも

【佐藤】2020年7月、97歳で亡くなった台湾の李登輝は、その言動を普遍化することで多くの学びを得られる人物です。

李登輝氏
李登輝(画像=國民大會秘書處/第三屆國民大會第三次會議實錄(上冊)/GWOIA/Wikimedia Commons

【池上】日本統治時代の台湾に生まれ、京都帝国大学(現京都大学)などで農業経済を学び、国家元首である総統の座に就いて以降は、独裁政権下で激しい政治弾圧なども行われた中華民国の民主化に尽力しました。

【佐藤】政治家として、三代前の総統、蒋介石しょうかいせきが掲げた「大陸反攻」、すなわちもう一度中国大陸に攻め上るのだ、というスローガンの旗を降ろし、中国共産党による大陸の実効支配を認めました。

【池上】同時に、自分たちは中国とは違う存在だと明言したり、独自に国連加盟を目指す方針を公にしたり。

【佐藤】これらの言動は、今では当たり前のことのように受け止められるかもしれませんが、ぜんぜん当たり前ではありませんでした。最初に結論を言えば、彼の本質が類まれなプラグマティスト(実用主義者)だったからこそ、そんな「大それたこと」を口にできたのです。

「台湾の生き残り」のために、利用できるものは何でも利用する

【佐藤】李登輝と親交のあった自民党の村上正邦さんが、最後は李登輝のことを嫌っていたのです。

【池上】「参議院のドン」と呼ばれ、支持団体をめぐる受託収賄罪で実刑判決を受けた政治家ですね。なぜ嫌うようになったのですか?

【佐藤】村上さんが、中国との関係で実現できなかった李登輝訪日のために散々力を尽くしたのに、逮捕以降、全く接触しようとしなくなったからです。ただ、そういうのを見て、あらためて最初に述べたような感想を持つわけです。李登輝というのは、類まれなプラグマティストなのだ、と。今のエピソードを当てはめれば、ことのほか人間関係を大切にするように見えて、実はそれは「計算された人間関係」だった。

【池上】言い方は悪いけれど、利用できそうな人間とは親しくするという現実主義者。

佐藤優氏
佐藤優氏(写真提供=中央公論新社)

【佐藤】李登輝がそういうプラグマティズムに徹した理由がどこにあったのかと言えば、「台湾の生き残り」にほかなりません。中国という強大な国家と対峙たいじしなくてはならない中で、後ろ盾のアメリカにはいつ切り捨てられるか分からない、日本からの投資も手放しで喜べるものと言えるのかといえば、疑問符が付く。

【池上】アメリカにも日本にもそれぞれの国益があるから、最後まで台湾のためを思って行動してくれる保証はありません。事実、次々に中華人民共和国と国交を回復し、中華民国とは「断交」したわけだから。中華民国は、71年に国連から「締め出され」てもいます。

【佐藤】自分たちがいかに脆弱ぜいじゃくな立場にあるのかを、李登輝は誰よりも分かっていたと思います。ただし、それは現状、台湾が甘受せざるを得ない「与件」です。

【池上】自分たちで動かせるわけではない。