絵に描いたような、歴史に翻弄される人生

【池上】李登輝は、自分は「客家(ハッカ)」だと語っています。古代中国において、黄河流域から戦火に追われ、数次にわたって南に移り住んだ人々を指し、一部が台湾にも渡りました。「客家」という言葉は、外来の移住者に対する呼称で、「よそもの」の意味だとされています。

池上彰氏
池上彰氏(写真提供=中央公論新社)

考えてみれば、彼の人生自体が「客家」的です。物心ついた時には日本人で、岩里いわさと政男まさおを名乗っていた。台北高等学校を卒業後、本土の京都帝国大学農学部に入学するのですが、在学中に太平洋戦争が勃発し、日本兵として学徒出陣するわけですね。ところが、日本の敗戦によって、突如母国は国民党の中華民国ということになる。絵に描いたような、歴史に翻弄ほんろうされる人生です。李登輝が徹底したプラグマティストになったのには、そんな生い立ちも深く影響したのでしょう。

【佐藤】そういう経験が彼のしたたかさのバックボーンになっているのは、間違いありません。

【池上】国民党が権勢をふるった戦後は、自分自身はあくまで台湾人であり、大陸から入ってきた人間たちとは違う、という強烈な思いも芽生えたでしょうし。

『中央公論』と『文藝春秋』を毎号日本語で読む知日家

【佐藤】島国ではあったけれど、常時身近な敵を意識せざるを得ない、という地政学的な環境も大きかったと思います。そういう場所では、置かれた状況を冷静に分析して、ドライに物事を決していく人材が育つのです。

例えばイスラエルには、李登輝のようなタイプの政治家が珍しくありません。というか、歴代のイスラエル首相は、政治的な立場は違えど、みんなそんな感じですよ。

【池上】シンガポールでも、初代首相のリー・クアンユーのような、いろんな意味でしたたかな政治家が輩出されていますよね。あの国は、人種問題などを理由にマレーシアから追放されるような形で独立し、周囲をイスラム国家などに囲まれている上に、水資源の問題も抱えています。

【佐藤】ところで、李登輝のプラグマティズムは、対日関係にも、それを例外とすることなく貫かれていました。でも、逆に日本から彼を見た時、その評価はどうだったでしょうか?

【池上】「日本においては、『22歳まで日本人だった』の言葉や、日本語が話せることなどから親日家としても知られた」といわれています。李登輝は、『中央公論』と『文藝春秋』は、毎号日本から取り寄せて日本語で読んでいたといいますから、大変な「知日家」だったことは、想像に難くないですね。

【佐藤】その二つを読んでいれば、台湾が生き残るために必要な情報を得る上で、間違いないですから。ただ、一方で、さきほどの村上正邦さんのような生々しい例もあるわけです。