飛び級制を導入し20代の次長と課長が誕生
——湖池屋での人づくりについて、聞かせください。
【佐藤】昨夏稼働を始めた九州阿蘇工場の現場は、高卒の新入社員ばかりにしました。(17年以降の)大卒では「若くともチャンスをもらえる会社」「こんなことをしたい」という意欲から入社する人が増えています。現実に、やりたいことをすぐにやらせていまして、20代の次長と課長が誕生しています。
次代の湖池屋を背負える人材を育成するのは、急務であります。2年連続して、人事評価で「S」を獲得すると、“飛び級”となり、若くして昇進できるようにしました。チャレンジ目標を、社員全員に作ってもらっているのですが、必達目標を大きくクリアするとSとなります。ヒット商品の開発、大口取引先の開拓など、最終的には僕が認める形です。
スナック菓子は若手のセンスがなければ、うまくはいかない事業なのです。
自由で放牧した会社に、僕が社長になった16年から導入しました。実はキリンビバレッジ社長の時から、ずっと考えてきた体制なんです。いまの若手にとって一番いけないのは、ピリピリした職場にしてしまうこと。僕らが20代の頃とは、時代は違うのです。
日本のスナック菓子が海外で売れる理由
——人口減から国内市場は縮小していきます。海外事業はどうしていきますか?
【佐藤】実は海外事業が前期(22年3月期)、初めて黒字になりました。
アジアでは台湾やタイが好調で、工場があるベトナムの単年度黒字化も、もう少しで実現できます。ベトナムは近代的な小売形態であるモダントレードの割合が大都市で高まり、コスト削減できてきたのが大きい。
欧米市場は、もともと値崩れしないので健闘できています。スナック菓子の大手であるペプシコ系のレイズにどう対抗していくかはポイントです。
僕が就任した16年6月期の売上高は約300億円でしたが、5年で約400億円まで成長しました。22年3月期は決算月を変更したため、9カ月間で304億円の規模。このうち海外は43億円。3年後の25年には全体の売上高700億円として、このうち海外事業を100億円にしていきたい。
——積極策ですね。いま、日本は半導体をはじめ液晶、リチウムイオン電池、さらにEVなど先端分野が劣勢になっています。
【佐藤】日本製スナック菓子が海外で売れる理由は、二つあります。
一つはレイズにない味わいのスペックがある。
もう一つは、日本品質に対する信頼度が、アジアをはじめ海外では高いから。先端分野はともかく、自分たちが思うよりも、日本ブランドは外国人から認められています。
ただし、例えば厚切りのポテトチップスは、芋がどうして濃厚なのか、といったエビデンスをきちんと発信する必要はあります。店頭やSNSを通して。売りっ放しではダメ。スナックは日本円で1000円しない商品です。うまさと品質に、徹底してこだわっていく。
僕は日清食品ホールディングスの常務執行役員も兼務しています。日清食品と湖池屋との相乗効果をつくっていくのも、課題です。
——スナック菓子の将来性は高いのでは?
【佐藤】僕が子供の頃、日本人は一日に3食をきちんと摂っていた。ところがいま、若い世代では5食も6食も食べている若者もいる。僕は、“食のシームレス化”が起きていると読んでいます。
健康に配慮したスナック菓子のニーズは高く、一方で災害時でもスナック菓子は有効なんです。16年まで、ビールや清涼飲料と脇役の飲み物をやってきました。が、主役である食べ物に来た。スナック革命をグループとして実現させていきたいです。
湖池屋 社長
1959年生まれ。82年にキリンビールに入社し、群馬県を担当する営業マンに。90年にキリンビールマーケティング部に異動、「ブラウンマイスター」を手掛ける。97年に清涼飲料のキリンビバレッジに部長職で異動し、「ファイア」「生茶」「聞茶」「アミノサプリ」とヒットを連発。07年にキリンビールマーケ部に戻り、08年に部長に。09年に「一番搾り」を麦芽100%にリニューアルし、これが奏功して同年アサヒを抜いてキリンは業界首位に。キリンビバレッジ社長を経て、16年に湖池屋社長。17年に「プライドポテト」をヒットさせ、湖池屋を上昇気流に乗せる。