キリンの天才に“一本釣り”された
——佐藤さんは、キリン時代の1999年に缶コーヒー「ファイア」、2000年に「生茶」、02年に機能性飲料「アミノサプリ」と、ヒットを連発させました。07年から始めた「世界のKitchenから」シリーズにしてもキリンビバレッジ部長になっていた佐藤さんが、GOサインを出して夏の定番である「ソルティライチ」などを生みます。そもそも、佐藤さんと前田仁さんとの接点はどこから始まったのですか?
【佐藤】82年入社の僕に対し、ジンさん(前田氏のこと)は73年入社でした。僕は群馬で営業していて、酒屋さんに僕なりの店頭展示を提案し、販売成績を上げていた。やがて、「面白い奴が群馬におる」とジンさんの知るところとなり、ジンさんと面談して新商品開発を行うマーケティング部に異動が決まります。
つまり、ジンさんが僕を見出したのです。1990年の春でした。
——希望部署を人事部に伝える「キャリア申告制度」を利用したと、聞いていましたが。
【佐藤】表向きはその通りで、手続き上もそうなっています。しかし、真相はジンさんによる“一本釣り”でした。ジンさんは、優秀なマーケターになりそうな人材がいないか、いつも社内で探していたのです。
——前田さんが佐藤さんを発掘しなければ、「ファイア」などのヒット作も、湖池屋の復活もないかと思うと、感慨深いです。
サラリーマンの幸せは「師」との出会い
【佐藤】ところがです。群馬から本社マーケ部に来てみると(90年3月)、ジンさんはビールの新商品開発から、ワイン部門へと異動していた。すれ違いにです。
——拙著『キリンを作った男』にも書きましたが、大ヒット商品となる「一番搾り」を商品化するやいなや、前田さんは左遷されてしまう。大成果を上げるのが確実だったのに、飛ばされる。“出る杭は打たれる”の体でした。さらに前田さんは93年にはグループ内の洋酒会社に出向となった。社内の権力闘争に巻き込まれた面もあった。
【佐藤】それでも、ジンさんと僕との交流は続きます。
サラリーマンが幸せになる一つの要素は、尊敬できる上司、先輩の存在があるかどうかです。時には「師」となる。
ジンさんも桑原通徳元専務により見出されて、その才能を開花させる。桑原さんは営業出身ですが、マーケ部長を務め「成功体験を捨てなさい。既存の価値観を超えて、新しいものを作りなさい。アンラーニングです」と社内で訴えていた。キリンが6割を超えるビールのシェアを持っていた時代にです。
ジンさんも「昔話では食えない。過去の成功を捨て、新しい価値の創造を常に求めなさい」と、同じことを言っていた。
実は僕も、お二人と同じ考え方なのです。一つのヒット商品に頼っていたら、消費者から飽きられていく。それが一番怖い。会社にとっても、市場にとっても。商品がコモディティ化して、安売り競争に入ったなら、もう最悪です。