キリンの戦後最大のヒット商品「一番搾り」をはじめ、「ハートランド」「淡麗」「氷結」などキリンのヒット商品を数多く手掛けた不世出のヒットメーカー・前田仁(1950~2020年)。彼はマーケターとして有能だっただけでなく、組織のリーダーとしても高潔な上司だった。自らのキャリアに傷がついてまでも部下を守った“サムライ上司”が、今も元部下たちから慕われている理由とは――。

※本稿は、永井隆『キリンを作った男』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

社員を幸せにできない会社は、お客を幸せにできない

キリンの戦後最大のヒットとなる「一番搾り」を開発するも、いきなり左遷された前田仁。子会社への出向から7年半ぶりにキリンのマーケティング部に戻った前田仁は、復帰からわずか4カ月で「淡麗」を開発し、大ヒットを放つ。

その後も、「氷結」や「のどごし〈生〉」などヒット商品を連発し、飲料業界では知る人ぞ知る存在となる。

その波乱万丈なマーケター人生を拙著『キリンを作った男』にまとめたところ、読者から「半沢直樹のような物語」という声があがった。相手が役員だろうが上司だろうが平気で意見を言い、ときに組織の不条理と戦った前田の姿が、半沢直樹と重なったのかもしれない。

前田の名が今もキリンで語り継がれているのは、マーケターとして有能だったからというだけではない。前田は、組織のリーダーとしても高潔な上司で、ブレない男だった。

「社員を幸せにできない会社は、お客様を幸せにする商品をつくれない」

こんな発言もした前田は、ときに自らの身体を張って部下を守ったり、マーケ部から異動させたりして、つねに部下の幸せを考える上司だった――。

天才マーケターは厳しい上司だった

本社に戻ってから上級管理職として多くの部下を育てた前田は、部下にも厳しい上司だった。

01年、上野哲生は前田が率いるマーケティング部で健康系発泡酒を開発していた。上野はこのとき30代後半、管理職に昇格したばかり。開発チームは上野と2期下の山田精二ともう一人の三人だった。

ところが、上野らが開発をしている最中、サントリーが糖質オフの発泡酒「ダイエット生」を先に発売してしまう。ライバルに先を越されてしまった上野チームに、前田は雷を落とした。

「サントリーに先を越されたのは、上野、お前がモタモタしてたからだろう。このドアホウが!」

そう言って鋭い眼光でチームの面々をにらみ渡したという。

ひとしきり怒りを爆発させたあと、前田は上野にこう言い渡した。

「とにかく、先を越された以上、より売れるものを作るしかない。売れないものを作ったら、承知しないぞ」

結局、上野チームが開発した糖質70%オフの発泡酒が、「淡麗グリーンラベル」として02年4月に発売。初年度販売量は1310万箱。健康系ビール飲料として、初めて1000万箱を超えるヒット作となった。

「絶対に売れる商品に」という前田の期待に、上野たちは無事応え、ロングセラー商品を作り上げたのである。

上野は、前田についてこう語る。

「前田さんは、野球で言えばホームランバッター。手堅いヒットを狙わず、ホームランだけを狙っていた。前田さんよりも、広告の作り方やネーミングが上手い人はいました。ただ、それまでまったく売れなかった健康系に、ヒットの臭いを嗅ぎ取るような『嗅覚』を持っていたのは、前田さんだけでした。その上、前田さんは人間的にも素晴らしい人でした」

ビバレッジ在籍時の前田仁氏。
写真提供=キリンホールディングス
キリンビバレッジ在籍時の前田仁氏。