王者カルビーばかり見ていた「負け犬」だった
——キリンビバレッジ社長を退任し、湖池屋に来たとき、会社はどんな状況だと判断しましたか?
【佐藤】2016年5月に来て、ジーっと3カ月ほど社内を観察していました。一つわかったことは、“負け犬”になってしまっていた、ということ。社内の各所で説明を聞いても、遠吠えにしか聞こえなかった。
トップメーカーであるカルビーの低価格戦略に巻き込まれてしまっていて、どうすることもできなくなっていたのです。業績は低迷し、お客様ではなくカルビーの動向ばかりを、みんな気にしていた。
湖池屋は1953年に創業、62年に「ポテトチップスのり塩」を発売。67年には日本で初めてポテトチップスの量産に成功する。もともと先駆者だったのです。
——名門企業が赤字に転落し窮地に陥ることはよくあります。負けの状況から、どのように再建していこうと計画されたのでしょうか。
【佐藤】僕がよく使う手法ですが、「バック・トゥ・ザ・ベーシック」を考えました。創業時代の基本に戻ろう、と。日本の伝統料理である天ぷらに、創業者の小池和夫は着眼。高温でサッと揚げて、ポテトチップスが立つと油ぎれがよいことを見いだし、料理を作る感覚の延長で「のり塩」を開発しました。
高温短時間の調理法をはじめ、もう一度、創業者に習おうじゃないか、と。
オタク商品がセンターを張る時代
——その結果生まれたのが、17年発売の大人向けのポテトチップス「プライドポテト」ですね。
【佐藤】そうです。創業期に戻り、現代でも通用するプレミアムなスナック菓子を作ろう、と意図したのです。
製品開発だけではなく、社名をフレンテから湖池屋に戻し、さらに六角形に「湖」を入れた会社のロゴも一新します。創業家である小池孝会長とも侃侃諤諤に議論し、「湖池屋を名乗り直しましょうよ」と合意した。経営陣から新入社員まで人心が一つになって、新生・湖池屋としての再スタートを切ったのです。
おかげさまで「プライドポテト」はヒットし、社員は自信を持ちました。キリン時代に培ったものを、僕はすべて使い切りました。
——ヒットの一発で終わるのでなく、新ブランドを連続して立ち上げ、リニューアルも行いました。佐藤さんらしいですね。
【佐藤】僕が来てから、プライドポテトのほか、「THE KOIKEYA」「PURE POTATOじゃがいも心地」「湖池屋STRONG」を新たに立ち上げ、「カラムーチョ」「スコーン」「ドンタコス」をフルリニューアルした。「ポリンキー」はこれからリニューアルします。
既存商品を安く売っているだけでは、明日はありません。不毛な戦いに終始すると、お客様は離れていく。どんなヒット商品でも、ブランドを磨き続けなければ飽きられていくものです。
——社長でありながら、マーケティング部長の役割も佐藤さんは担っていますね。
【佐藤】経営方針とマーケティング基本戦略は、僕が作っています。ただし、基本戦略にのっとり、いまのマーケ部長はきめ細かく現場で動いてくれています。
コーポレートブランドのリブランディングを行うとき、商品ブランドとの有機的な結びつきは求められます。
——安売り競争に陥りやすい「手軽で必要とされるもの」ではなく、高価でブランド力が問われる「上質で愛されるもの」を中心に、展開していくのでしょうか。
【佐藤】その通りです。人口が減少していく日本だけではなく、海外市場も同じように捉えています。これからは、新しいニッチ市場の創出が求められていきます。オタク商品がセンターを張っていく時代が来ます。