若年層のスポーツはやったもん勝ち
為末氏のように中学時代で日本一に上りつめると、その後の競技に影響が出やすい。これが“チームスポーツ”になると、さらに深刻な状況になっている。
例えば、駅伝だ。日本の陸上界は大きくわけると、中学、高校、大学、実業団という4つのステージがあり、いずれも駅伝の全国大会がある。なかでも最も注目を浴びているのが箱根駅伝だ。そのため中高生ランナーは「箱根駅伝」が大きな目標になることが多い。子どもたちの親も当然、箱根駅伝での活躍を期待している。
では、全国中学駅伝(全6区間)の優勝を経験した選手の実情はどうなのか。今春、大学を卒業した世代に当たる2014年までの20年間を調査すると、優勝経験者は合計118人(※うち連覇を経験した選手が2人)。そのうち箱根駅伝に到達したのは8人しかいないのだ。残念ながらオリンピックや世界選手権の代表になった選手はいない。
中学で頂点を極めたはずの選手たちはどこかに消えてしまったのだ。なぜこのような現象が起こるのか。極端なことをいえば、若年層のスポーツは「やったもん勝ち」だからだ。
「やったもん勝ち」とは先に行動を起こした人が得をする(勝つ)という意味になる。わかりやすくいえば、中学生が高校レベルの練習をすれば、中学で勝つことができる。だが、それは才能を“前借り”するような行為だ。
筆者は中学、高校、大学、実業団とさまざまなカテゴリーのチームを取材してきた。結果を残してきたコーチたちは例外なく指導に“熱心”だ。しかし、将来性にプライオリティを置いて指導している者はほとんどいない。それぞれの舞台で選手たちは結果を求めており、所属チーム(学校)からも期待をかけられているからだ。
いいタイム、いい成績を残す。それぞれの目標に向かって努力するのは間違っていない。だが果たして、これでいいのだろうか。取材しながら、心のどこかでそんな思いを抱くのも確かだ。中学・高校をメインにする陸上クラブで指導するコーチがこんなことを話していたのを思い出した。
「クラブに通う子どもの親御さんは、『将来、箱根駅伝を走らせたい』という気持ちが強く、そのためには中学でも結果を出さなきゃいけないと思っているようです。だからといって、中学、高校で無茶な練習をさせるわけにはいきません。それは子どもたちの才能を指導者が食いつぶしてしまうことになるからです。指導者が良くないというより、システムと評価の仕方が悪いと感じますね。全国大会で好成績を収めると、メディアが評価します。その指導者は地域でカリスマ扱いされることもある。指導者のエゴで、どれだけの子どもたちが犠牲になっているのか知ってほしいころです」
コーチから「犠牲」という言葉が出るほど、若年層の子どもたちは大人の“ターゲット”になりやすい。