1890年に世界初「棒状の蚊取り線香」が誕生した

こうして1890年(明治23)に完成したのが、いまだかつて世界に存在しなかった革新的殺虫剤、除虫菊を練り込んだ棒状の蚊取り線香である。赤と青のベースカラーに、商品名の「金鳥香」「キンチョウコウ」、鶏のトレードマークを配したパッケージ。どんな人にもひと目で「金鳥の蚊取り線香」とわかるデザインの原型は、このときに誕生したものだ。

田宮寛之『何があっても潰れない会社 100年続く企業の法則』(SB新書)
田宮寛之『何があっても潰れない会社 100年続く企業の法則』(SB新書)

ここで初めて現れた鶏のマークは、英一郎が信条としていた中国故事「鶏口となるも牛後となるなかれ(大きな集団の末端に甘んじるよりも、小さな集団の頭になれ)」からきているという。小さな集団どころか、日本には存在すらしなかった殺虫剤工業という新しい業界を創出した身として、最先端を走っていくのだ、という気概を込めたものである。

ただし、きわめて画期的な商品ではあったものの、棒状の蚊取り線香には、いくつか決定的な難点があった。

まず、細すぎるために折れやすい。仏壇や墓に供えるだけの線香ならば細くても問題ないが、殺虫剤という日用品となると、どこへ持ち歩いても、どこで焚いても折れずに効果を発揮する頑丈さが求められた。

また、煙の発生量が少ないため、1本ではせっかくの効果が十分に発揮されない。また、燃焼時間が40分と短く、一晩中効果を得るためには何本も取り替えなくてはいけない。苦肉の策として3本を同時に焚ける専用台を付属品としていたが、ある程度の煙の量は確保できても燃焼時間の問題は解消されない。

「渦巻き型」になったのは、燃焼時間を長くするため

より効率的に、より長時間にわたり殺虫効果を持続できるよう、改良を加える必要があった。かといって単に長くすればいいという話でもない。40分の燃焼時間を数時間にするには4倍、5倍の長さにする必要がある。棒状ではいっそう折れやすくなるだろうし、折れなかったとしても使用する際の取り扱いが不便すぎる。

思案に暮れる英一郎に、「線香を渦巻き型にしてはどうか」というアイデアを提案したのは妻・ゆきだった。そこから渦巻き型の蚊取り線香を量産するための試行錯誤が重ねられ、ついに私たちがよく知る「金鳥の渦巻」が発売される。実に渦巻き型の着想から7年後、1902年(明治35)のことである。

渦巻き型になった蚊取り線香の燃焼時間は約6時間、つまり寝る前に点火すれば、朝まで蚊を除けることができる。これならばもっと売れると英一郎が確信したとおり、蚊取り線香は徐々に売上を伸ばしていった。

こうしてミカンよりも除虫菊を多く扱うようになった上山商店は、1919年(大正8)、株式会社化に伴い大日本除虫粉株式会社、1935年(昭和10)には現在の社名である大日本除虫菊株式会社に社名変更した。

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