300年続く企業は何が違うのか。コイズミ照明や家具のコイズミファニテックを擁する小泉産業もその一つだ。経済ジャーナリストの田宮寛之さんは「社員全員が決算書を読めるようにすることで、社員一人ひとりが経営者感覚を持てるようにしている」という――。

※本稿は、田宮寛之『何があっても潰れない会社 100年続く企業の法則』(SB新書)の一部を再編集したものです。

決算報告書と書かれた書類
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです

ルーツは近江の行商人

小泉産業株式会社は、照明のコイズミ照明株式会社、家具のコイズミファニテック株式会社、インテリアから家電、内装材、省エネなど施設関連の機器販売および施工の株式会社ハローリビング、物流のコイズミ物流株式会社、什器や家具の搬入・設置サービスの株式会社ホリウチ・トータルサービスを擁する持株会社だ。

そのルーツは、1716年(享保1)、近江(現在の滋賀県)で、武士の家系でありながら行商を始めた小泉太兵衛にある。

勤勉な性格の太兵衛は、まず田を購入して農業に励んだ。ところが、その田は米がうまく育たない悪田だった。そのままでは年貢を納められないため、太兵衛は、わずかな資産を切り崩し、近江産の麻布を仕入れて行商を始めた。時代の変化を敏感に感じ取った太兵衛の大きな決断であった。

戦国の世が終わり江戸時代に入って以降、日本各地で荒れ地の開発が進み、新たな村が誕生し、人口増加と共に新たな商品市場が生まれた。それに呼応するかのように、近江国の北部を治めた彦根藩では商業自由化政策がとられた。そこで「これからは農業ではない、商業だ」と考えた太兵衛は農業を見限り、行商に専念することにしたのだ。

「信用第一で正々堂々と仕事をせよ」

行商といえば、まず信用がなくてはならない。客の要望を知って応えれば、まずある程度は信用される。さらには客自身ですら気づいていない内なる要望を察知して提供する。そこで生まれる客の感動によって、また新たな信用が醸成される。

商いというものは、このように信用をベースに広がっていく。それは今も昔も変わらないのだから「信用第一で正々堂々と仕事をせよ」と、小泉産業グループ(以下、小泉産業)の社員は新入社員のころから教わるという。

さて、武士から農家、農家から行商人へと転身した初代・太兵衛だったが、小泉家が実店舗を構えたのは、それから100年余り後のことである。

1847年(弘化4)には京都の富小路六角に近江屋新助商店を開業。続いて1871年(明治4)には大阪・船場に立木屋森之助商店を出店。時代は明治。国を挙げて富国強兵と文明開化が推し進められ、活気みなぎるなかでの開業だった。

さらに1904年(明治37)には同族5人で小泉合名会社を設立、1915年(大正4)には小泉重助商店を開店、という具合に、太兵衛の子孫たちは麻布の行商から始まった商いを着々と拡大し、小泉家は一大商家へと成長していく。