災害専門省庁の設立が急務

一方で、私はうまくいかなかったケースも目の当たりにしました。2019年の台風19号では、総務省は発災後かなり速やかに福島、長野、茨城、千葉の4県の担当部署に連絡し、段ボールベッドがどのくらい必要か聞きとりを行いました。その結果、各県とも2000台の希望があったそうです。そして発災4日後ごろには段ボールベッド会社から送付してもらったそうなのですが、その保管場所は自衛隊基地などでした。県の担当者も保管場所や送付先を把握していなかったらしいんです。

災害対策の問題点のひとつとして、避難所の設置部署と運営部署が違うことがあげられます。発災するまでの事前の準備は、総務省の管轄で、発災後は厚労省に代わる。

――縦割り行政の弊害ですね。

その最たるものですね。だからこそ、その弊害をなくすためにも災害専門省庁の設立が急務です。専門省庁がないから、いつも発災後に補正予算をつけて対応するしかない。

一方イタリアでは災害関連の国家予算は約3000億円。この予算で、テントやトイレ、キッチンなどを備蓄し、搬送用のトレーラーやトラックのメンテナンスを行っています。

ただこうしたイタリアの仕組みがつくられたのも、最近の話なんです。イタリアで災害対策を行う市民保護庁が発足したのが、約40年前。それまでは、現在の日本のように、災害支援は市町村に丸投げでした。しかし1980年に、イルピニア大地震が発生し、建物の倒壊などで約3000人が亡くなりました。被害はそれだけに止まらずに、災害対応の遅れで、約1万人が避難生活で、病気を発症し、なかには命を落とす被災者も出ました。そうした反省から、市民保護庁が誕生したんです。

2016年アマトリーチェ避難所
撮影=榛沢和彦先生
2016年アマトリーチェ避難所

「生命を守る」だけでなく「生活を早く戻す」

――イタリアは“災害関連死”を教訓として、災害専門省庁をつくったということですね。

そうとも言えますね。もうひとつ日本の災害対策から抜け落ちている視点が“市民社会保護”という考え方です。

災害後に人々の暮らし、地域コミュニティーをできるだけ早く戻すこと。つまり生命を守るだけでなく、市民生活の復旧を第一に考えた災害対応です。

山川徹『最期の声 ドキュメント災害関連死』(KADOKAWA)
山川徹『最期の声 ドキュメント災害関連死』(KADOKAWA)

実は、これは戦争と切り離せない考え方でもあるんです。相手から攻められたとき、市民の生命をどのように守り、暮らしをどう復旧させるのか……。それに、戦争はたくさんの物を消費しますよね。消費ばかりでは戦争は続けられない。だからこそ、被害にあった市民に早く日常生活に復帰してもらって、物を生産して経済を回してもらう必要がありました。市民生活の復旧、復興があり、初めて戦争が続けられる。

こうした考え方が、欧米では災害対応にも生かされている。まずは市民の命を助ける。その後、いち早く社会復帰を果たしてもらう。それが、市民生活の保障や経済の早期復旧につながり、被災者自身のためになると受け止められています。

現状のまま、南海トラフ地震や首都直下地震が発生したらどうなるのか……。新型コロナでは、高齢者や基礎疾患を持つ人のリスクが明らかになりました。それは災害でも同じでしょう。このままでは避難所で、高齢者や基礎疾患を持つ人は過酷な生活を強いられてしまいます。災害時の被災者支援は、個人救済ではなく、公共の福祉です。だからこそ、何よりも避難所の環境改善を急ぐ必要があるのです。

(聞き手・構成=ノンフィクションライター・山川徹)
【関連記事】
【第1回】「災害関連死には500万円を支給」遺族に手篤い災害弔慰金が、むしろ遺族を傷つけてしまう理由
「80歳にタクシーを運転させる」日本人は死ぬまで働かなければならないほど貧乏になった
「弱者男性の安楽死を合法化せよ」明らかな差別的発言がまかり通る日本のヤバさ
医療崩壊の元凶は医師会にあり…本当はあり余っているのに「病床が足りない」と騒ぐワケ
「取りやすいところから徹底的に取る」政府がたばこの次に増税を狙っている"ある嗜好品"