この状況は、日本大学教授の末冨芳氏と立命館大学准教授の桜井啓太氏が、共著書『子育て罰 「親子に冷たい日本」を変えるには』で指摘していたところの「子育て罰」のようです。「子育て罰」とは、「子育てをすること自体に罰を与えるかのような、社会の厳しい冷たさ」を表す言葉。日本の子育て層は、年金・社会保険の負担が今の高齢者世代よりも高いなかで、子供を産み育てて社会に貢献しています。それにもかかわらず、政治のありよう、社会のしくみと慣行、そして人々の意識が子育て層をいっそう苦しくしています。日本は、子供を産み育てるほどに生活が苦しくなっていく、「子育て罰」の国だというのが著者たちの考えです。いったい日本は、いつからこんな国になったのでしょうか。
かつての日本は地域全体で子供を大事にしていた
江戸後期や明治時代に日本を訪れた外国人が、日本人の子供をかわいがる態度について書き残しています。例えば、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)によると、エドワード・モースは、「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない」と書き残しました。イザベラ・バードは、「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ」と書き残しています。もちろんすべての地域がそうではなかったでしょうけれど、母親や父親だけでなく、日本ではかつてコミュニティ全体で子供を大事にしていたようです。
こういった話を読むと、なんだかとても心がやすらぎ、温かな気持ちになりませんか。また、情緒的ないい点だけでなく、弱者・子供に目をかけて慈しむことは、社会保障の役割もするでしょう。誰にでも居場所があるということは、社会を安定させることにつながります。弱者に対しての行動は、自分や社会全体に返ってきて、まさに「情けは人の為ならず」なのです。
子供に優しい社会はみんなに優しい
以前に私は、当連載で「子育てに寛容でなく厳しい風潮がある」ということを書きました(妊婦の目の前の空席を横から奪う…小児科医が気づいた「日本の子育てが息苦しい5つの原因」)。Twitterでは、「心の余裕のない人が増えているんだろう」「他人を気遣うことができないほどつらい人が多いからしかたない」というような反応がありました。それもまた、真実だと思います。