赤色の食品を巡る食品企業と消費者の攻防
連邦政府、産業団体、消費者団体が食品規制に関してせめぎ合いを続ける中で、1960年代に最も議論を巻き起こした着色料が「赤色2号」と呼ばれるものである。これは、他の赤色着色料に比べて安価であるだけでなく、褪色しづらく、さらに様々な食品に利用することができた。
例えばアメリカでは、清涼飲料水やアイスクリーム、ケーキ、スナック菓子、ハムやソーセージなどの食肉加工品、調味料など幅広い食品に使われていた。この赤色2号は、長らく最も安全な着色料の一つとして考えられていたもので、1907年に連邦政府が認可をした最初の合成着色料の一つだったのである。
だが、1950年代に初めて赤色2号の安全性を疑う調査結果が発表されたのだ。その後、1960年にはソ連の研究者らが、発癌性を持つ物質であると発表した。アメリカ政府関係者や研究者の一部は、ソ連の研究は信憑性に欠けその結果を信じることはできないとして、即座に規制が設けられることはなかった。これに対し多くの消費者団体は、政府が企業と手を組み消費者を危険に陥れていると訴え、早期に赤色2号の使用を禁止するよう求めた。
新聞記事でも赤色2号に関する記事が多く取り上げられるようになると、消費者は抗議や安全性に関する疑問を綴った手紙を政府に送ったりもした。これに対し政府関係者らは安全性に問題がないことを強調し、企業利益のために国民の健康を蔑ろにしているわけではないことを訴えた。
当初、赤色2号の有害性やソ連の研究結果に懐疑的だったのはアメリカ政府だけではなく、その規制をめぐる対応は国によって様々であった。ドイツは赤色2号の使用を全面禁止した一方、フランスとイタリアは一部の食品のみへの使用を認め、イギリス、カナダ、オーストラリア、日本では使用が認可された。これは、食品や使用される添加物の安全基準が国によって異なっているためで、食の「安全性」が社会的・政治的に構築されたものであるともいえる。
大手菓子メーカーは11年にわたって赤色チョコを封印
アメリカでは、赤色2号の安全性をめぐる議論が20年近く続き、消費者団体らの反対活動に屈する形で、1976年にようやく連邦政府は使用禁止を発表した。赤色2号の使用が禁止されたことで、食品企業は商品生産・マーケティング戦略を新たに模索する必要に迫られた。
解決策の一つは、別の赤色着色料を使用することで、代替品として最も広く利用されたのが赤色40号である。だが、これは赤色2号に似た色ではあったものの、値段が2号よりも高く、食品によってはくすんだ色になってしまい、完璧な代替品とはならなかった。さらに、赤色40号の安全性にも疑問が持たれており、アメリカ政府は使用を認めたのに対し、赤色2号の使用を認めていたカナダでは、安全性を担保できないとして40号の使用を禁止した。
赤色40号のような代替品を使用する企業があった一方、赤い商品の生産を中止する食品企業も現れた。例えば、チョコレート菓子メーカーのマース社は、1976年に看板商品でもあるエムアンドエムズ(M&M’s)から、赤色にコーティングされたチョコレートを外すことを決定した。同社によるとそれまで自社の商品に赤色2号は使用していなかったものの、赤色全般が多くの消費者に不安を与えることを危惧してのことだった。1987年に赤色を復活させるまでの11年間、赤いエムアンドエムズは市場から姿を消すこととなったのである。