着色料の認可によって食品の着色にお墨付きを与えた
その後、1910年代から20年代にかけて、新たな食品着色料の開発と研究が進んだことに加え、政府が認可する着色料の種類が増えたことで、認可着色料の使用量は急速に伸びていった。当初7つだった認可着色料は、1931年までに15種類にまで拡大した。認可された着色料の総量が、1922年は約170トンだったのに対し、1925年には2倍近い320トンまで増加したのである。
着色料の使用が急増したことで、純正食品薬品法の問題点も浮き彫りとなり、法改正を求める声が政府内外から高まった。まず一つには、先述の通り、1906年法は認可着色料について規定を定めたものの、認可着色料以外の着色料を使用することを禁止するものではなかった。
また、取り締まりを行うアメリカ食品医薬品局(Food and Drug Administration、通称FDA)の権限が小さく、効果的な規制がなされていなかった。そこで1938年、連邦政府は1906年法を改正し、食品と医薬品に加えて規制対象を化粧品にまで広げ、連邦食品・医薬品・化粧品法を制定した。
同法による着色料規制に関する最大の改定は、食品着色を行う場合、認可着色料の使用を義務づけたこと、そしてもう一つが着色料の名称を定めたことである。これまでは、認可・非認可の区別なく、着色料は一般的に商標名で呼ばれていた。それを認可着色料に関しては、赤や青などの色名と番号を組み合わせた名称に変更したのである。
例えば、商標名「ギニア・グリーンB」と呼ばれる着色料は、「緑色1号(英語ではGreen No.1)」、「ライト・グリーン・SF・イエロー」は、「緑色2号(Green No.2)」となった。さらに同法は、FDAにこれまでよりも大きな権限を与え規制を強化し、その後20年間にわたり、食品や医薬品・化粧品にかかるアメリカ国民の健康を保障するための法的基盤として位置づけられることとなった。
純正食品薬品法、およびそれに続く連邦食品・医薬品・化粧品法は、有害物質の使用規制という目的と並び、またはそれ以上に、連邦政府が認可着色料の安全性を保証し、人工的な食品の着色が不可欠かつ正当な食品生産過程であることを認めたことを意味するものでもあった。着色料の安全性に対する政府のお墨付きは、食品着色を推進することにもつながり、人工的に着色された食品がアメリカの食卓に一層のぼるようになったのである。