スティーヴ・ジョブズ氏の訃報を知ったのは、出張先のホテルの部屋。ツイッターでつぶやいている人がいて、すぐにニュースサイトを見た。

アップルのCEOを辞任してから間もない、悲しい知らせ。ぎりぎりまで頑張られたのだなと思うと、熱い思いが込み上げた。

ジョブズ氏の訃報に、日本でも多くの人が悲しみに暮れ、アップルストア銀座店には献花が集まった。(AP/AFLO=写真)

ジョブズ氏の訃報に、日本でも多くの人が悲しみに暮れ、アップルストア銀座店には献花が集まった。(AP/AFLO=写真)

ジョブズ氏の最大の功績は、コンピュータを人々にとって身近な存在にしたことだろう。一部の専門家のための道具から、誰もが手放せない生活の「友」へ。3歳くらいの子どもが母親のiPhoneで遊んでいる光景はもはやありふれたもの。ジョブズ氏にとって、最高の勲章だろう。

ジョブズ氏のアプローチのユニークさは、コンピュータを使う際の人々の「経験」に焦点を当てたことだった。技術者の論理ではなく、ユーザーの感性。ジョブズ氏はつねにユーザーの立場から、最高の製品をつくろうとした。

ジョブズ氏の最高傑作とも評されるiPad。この製品が発売されて、初めてコンピュータというものをさわってみたというお年寄りも多いと聞く。人間の脳が機器とどのように相互作用し、そのときに何を感じるか。ジョブズ氏の開発姿勢には、ユーザーの側に立つという徹底した哲学があった。

ジョブズ氏の姿勢から学ぶべきことは、たくさんある。その中でも私たちが特に心に留めておくべきことは、「製品」を「出荷」することの大切さではないか。

「創造性」こそが求められる現代。働く者それぞれが、自分の感性を磨き、人間とはどのような存在で、何を求めているのかを考え、世界観を鍛えていかなければ輝けない。大げさではなく、一人ひとりが芸術家(artist)になる時代がきた。

創造的な芸術家になる。そのような志を持つのはいいとして、問題は、自己満足に陥ってしまってはいけないということ。アイデアを追求したり、ビジョンを温めていても、それが実際の商品やサービスにつながらなければ、意味がない。

人間の脳は、アウトプットなしにあれこれ考えてばかりいると、だんだん「腐って」いってしまう。自分たちが考えたことを、具体的なモノにして世に出し、「手放す」ことで、次にいくことができる。モノを作り続けて、初めて成長することができる。

「本当の芸術家は、出荷する」(Real artists ship)

初代マッキントッシュを開発しているときに、ジョブズ氏が口にしていたというこの言葉。理想のコンピュータを思い描いているだけでは足りない。それを実際に形にして、世に問わなければならない。

そうでなければ、本当の芸術家とは言えない。困難にぶつかり、ついつい製品の出荷が遅れそうな状況の中で、ジョブズ氏はそう言って仲間たちを励ましたという。

出荷することで、「作品」は私たちの手を離れる。いちいちこんな商品ですと説明するわけにもいかない。人々が、それぞれの感性で評価し、市場の中でもまれていく。作品が作者を離れて流通し始めて、初めて本物の芸術家といえる。

すぐれた芸術作品は、触れた人に新しい世界を開く。人生を変える。気づきを与える。さらなる創造へ向けての、一つの出合いがそこにある。

数々の素晴らしい製品を「出荷」してきたジョブズ氏。そのことで、どれだけ多くの人の生活が変わってきたろう。スティーヴ・ジョブズ氏こそ、現代を代表する卓越した「芸術家」だった。心から、ご冥福をお祈りいたします。

(若杉憲司=撮影 AP/AFLO=写真)