先日、大阪に出張した際、通天閣の近くの「大衆演劇」の小屋に出かけた。

もともと、私は大阪のミナミが好きである。梅田を中心とするキタもいいが、人の肌の温もりがする街の雑踏の中でやすらぎを感じる。そんな私でも、大衆演劇にたどり着いたのは、ある人の導きがきっかけだった。

日本の芸能の歴史に詳しい文化人類学者の沖浦和光さん。

「このあたりは歩き慣れているから」という沖浦さんの背中を追いかけてふらりと入った劇場で、初めて大衆演劇の世界に触れた。

もともと、歌舞伎はよく見ていた。今やユネスコの「世界無形遺産」に登録された、日本が誇るべき芸術。それに比べて、大衆演劇には疎かった。実際に接して、大いに感銘を受けた。そして、すっかり考え込んでしまったのである。

一番強い印象を受けたのは、徹底した「顧客サービス」の精神だった。客席との距離が近い。スキンシップもある。何よりも驚いたのは、演目の数が多いこと。

もともと、大衆演劇の劇団は、一座で各地を転々する。その中には、人口がさほど多くない地方都市もあるかもしれない。お客さんにたくさん来てほしい。同じお客さんが繰り返し来るのでもよい。そのためには、同じ演目を毎日やっていたのでは、飽きられてしまう。

そのような「市場」の構造に対して劇団が出した結論は、驚くべきものだった。1カ月間、昼と夜、すべて演目が違う。もちろん、ストーリーや演技の要素は、「使い回し」の側面もあるのだろうが、とにかく全部違う演目をやる。即興もかなり含まれるであろうその徹底した「多品種少量生産」の姿勢に、感銘を受けた。

沖浦さんに連れられて初めて訪れたのは、数年前。あれからの私は何を考えてきたのだろうと再確認する思いも込めて、ふたたび通天閣の下の人となった。あったあった、この小屋だ。中から、にぎやかな音楽が聞こえてくる。