意志力を使うと勉強や練習の成果が落ちる
人類が生きてきた大半の時代にはお金を預ける銀行などなく、目の前にあるものはすぐに手に入れないと生き延びることはできなかった。
ところが産業革命以降、「とてつもなくゆたかで安定した社会」に放り込まれ、かつてないほど確実性の高い未来が約束されるようになったことで、旧石器時代の脳がうまく適応できなくなってしまった。
こうしてわたしたちは、ダイエットから勉強、仕事の成果に至るまで、欲望を制御し、ものごとを先延ばししないよう意志力(自制心)を鍛えなければならなくなった。
だが最近になって、困惑するような研究が出てきた。意志のちからで欲望を抑えようとすると、勉強や練習の成果が落ちてしまうというのだ(※3)。
なぜこんなことになるかというと、「意志力をふりしぼることで脳のリソースを使い果たしてしまう」からだという。「徹夜で勉強したけどぜんぜん頭に入らない」という経験は誰にもあるだろうが、これは限りある資源を別のところで使っているのだ。
この結果は、バウマイスターの「ラディッシュ実験」とも整合的だ。制御系のネットワークを使って報酬系の活動を抑え込もうとしても、その「意志力」そのものがストレスを生む。
すると交感神経が活性化し、血中のストレスホルモンが増えるので、脳=スピリチュアルはそれを逃走/闘争状況だと誤認する。これが長く続くと、ストレスを筋肉の疲労と「帰属エラー」して、実際に疲れ果ててしまうのだ。
※3 Jane Richards and James Gross (2000) Emotion regulation and memory: The cognitive costs of keeping one’s cool, Journal of Personality and Social Psychology
努力すると寿命が縮む
さらに不穏なのは、貧困家庭に育った若者が高い自己コントロール力を使って成功したとしても、さまざまな病気を発症し老化が早まるという研究だ(※4)。
社会的・経済的にハンディキャップを負う若者でも、強い意志力をもてば成功の可能性が高まることがわかってきた。これは素晴らしい話だが、その一方で、欲望を抑え込もうとしたことで身体がストレス反応を起こし、血圧が上昇したりする。
これが長期間続くと、やがては健康に重大な影響を及ぼす。「努力は寿命を縮める」のだ。この研究で目を引くのは、比較的恵まれた家庭で育った若者には、このような現象は見られなかったことだ。これも、堅実性パーソナリティが(ある程度)成育環境で決まることで説明できるだろう。
「残酷な事実」ではあるものの、比較的余裕のある家庭で生まれ育ち、もともと堅実性の高い子どもは、勉強で意志力を使ったとしてもあまりストレスに感じず、健康に影響しないようだ。
だがこれは、「金持ちの家に生まれれば高い堅実性パーソナリティでなにもかもうまくいく」ということではない。そのことをよく示すのが井川意高さんで、大企業の御曹司として生まれ、最難関の大学を卒業し、ビジネスの第一線で活躍しながら、ギャンブルが報酬系に与える刺激をコントロールできず深みにはまっていった。
その経歴からわかるように、井川さんの堅実性スコアは本来、きわめて高い。金曜の夕方に仕事を終えるとシンガポールに飛び、そのまま「マリーナベイ・サンズ」で徹夜でギャンブルして、日曜の深夜便を使って月曜早朝には東京に戻り、出社するという「狂気と紙一重」の行動を続けていた。
堅実性が高くなければとうていこんなことはできず、仕事など放りだしてしまうだろう。
このように、どれほど制御系ネットワークが強力でも、報酬系にいったんスイッチが入ってしまう(ツボにはまる)と、意志のちからでスピリチュアルに抵抗することはできないのだ。
※4 Gregory E. Miller et al. (2015) Self-control forecasts better psychosocial outcomes but faster epigenetic aging in low-SES youth, PNAS