「泥棒と呼ばれ、近所から変な目で見られてます」

その日、私は県営住宅にひとりで暮らす90歳の丸山勇吉さんを訪ねた。

市の介護保険課から、たびたび被害妄想めいた電話を寄越すので、様子を見に行ってほしいと依頼されたのだった。勇吉さんは20年前に妻を亡くし、2人の息子たちは独立したという。

調理師を引退したあとはシルバー人材センターに登録し、社員食堂にも長く勤めた働き者だ。背が高く、猫背で首が少し傾いているが、かくしゃくとしている。

「なんで千鶴をほったらかしにしている。俺の留守に部屋に上がり込んで、唐揚げを揚げたり、飯を炊いたりして、しゃあしゃあと食っていきやがる。駐在所や市役所に電話したが、みんな怠けて、千鶴をとっつかまえようとしない」

だんだん鼻息が荒くなり、目は据わっていた。

「申し訳ありませんが、私は千鶴さんを知らないんです」

そう答えるのがやっとだった。

その数日後、今度は県営住宅に住む高齢の女性から、飯田千鶴さんの相談にのってほしいと頼まれた。勇吉さんが言っている女性だとピンときた。千鶴さんはその女性に伴われて、事務所に来た。ふっくらした頬をした愛らしい感じの人だ。

「勇吉さんに泥棒と呼ばれ、近所の人たちから変な目で見られています」

つぶらな瞳から涙がこぼれ落ちた。

「上の階の住人が電波を送ってきて一睡もできない」

千鶴さんは43歳。20歳年上の男性と県営住宅で暮らしている。その内縁の夫の友人が勇吉さんだった。家族ぐるみのつきあいになり、元調理師の勇吉さんは天ぷらやエビフライなどを作っては千鶴さんたちをもてなした。

しかし、その後しばらく交流が途絶えていたのが、勇吉さんは道で千鶴さんとばったり会ったとたん、「俺の留守に上がり込んで勝手にメシを食いやがって」と怒鳴り散らすようになったという。

暗闇で手で顔を覆う女性
写真=iStock.com/Hartmut Kosig
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90歳をすぎて勇吉さんの認知機能は問題をきたしたのだろう。私は妄想にさいなまれる高齢者を何人か知っていた。

70代半ばでひとり暮らしの女性から、「上の階に住む人が一晩中、電波を送ってくるので一睡もできない」と相談されたときは、精神科に一緒に行った。「妄想性障害」と診断を受けた。医師は「部屋を変わっても妄想は消えません」と説明した。

薬を処方され、毎月、通院しているが、妄想の苦しみは今も消えない。千鶴さんを担当する市の障害者福祉課の保健師に電話をかけたが、こまかな対応はしてくれず、結局もっとも身近にいる私が、勇吉さんを見守り、千鶴さんを慰め、励ますことになった。