行動力があって元気すぎるから余計に厄介
地域包括支援センターの仕事は実際のところ「なんでも屋」でもある。どこからどこまで何をやればよいかという厳密な決まりはなく、こうしたケースの扱いなどはケアマネの裁量によるところが大きい。
脳神経外科クリニックで診断を受けた勇吉さんは、MRI検査で前頭葉の萎縮が認められ、「認知症」の診断を受けた。私は介護保険の申請の手続きを代行し、勇吉さんは「要介護2」の認定を受けた。
施設入所も考えられたが、しばらく様子を見ることになった。妄想さえなかったら、勇吉さんは自立した高齢者だ。買い物に行き、掃除、洗濯をして、毎日、調理をする。力もあり、体調も安定している。
生活はちゃんとできているのに、なぜか妄想だけはふくらむ。千鶴さんへの攻撃は日増しにエスカレートしていった。毎日、千鶴さんの部屋の前まで行き、扉を叩き、「ドロボーは親元に帰れ!」と大声を発するようになった。
行動力があって、元気すぎる。どんどん動けてしまうから、余計に厄介だった。数週間後、千鶴さんから電話がきた。
「さっき勇吉さんが家に来たので、うちの人が殴りました。勇吉さん、倒れちゃいました。そのあとうちの人、『おまえも出て行け』って私を蹴るんです」
泣きじゃくる千鶴さんの声に男の罵声が重なった。私は障害者福祉課に電話をかけ、応援を頼んだ。17時をすぎていて、退庁時刻なので今日は行けないという返事だった。駐在所の警察官の携帯にもかけたが、「今日は非番で」という申し訳なさそうな声が返ってきた。
仕方ない。放っておけないと思った。私は夕暮れの県営住宅に向かって自転車を走らせた。
希望は最後までの在宅の暮らしだったが…
千鶴さん宅に着くと、すでに勇吉さんの姿はなかった。インターホンを押すと、小柄で痩身の初老の男が現れた。彼の背後から千鶴さんが現れ、「岸山さん、うちの人が私を許してくれましたので、もう大丈夫です」と頭を下げた。
涙でテカテカになった頬が光っていた。その3カ月後、勇吉さんは行方不明になって路上でうずくまっているところを通りがかりの人に発見された。認知症がかなり進行しているのは明らかだった。勇吉さんの長男は老人保健施設に入所させることを決めた。
勇吉さんは最初、拒否していたが、なだめられて、やがて受け入れた。勇吉さんの希望は最後まで在宅の暮らしだった。妄想さえなければ、それは十分可能だったのだ。しかし、周囲の人や千鶴さんのことを考えると、施設入所の選択しかなかった。
利用者の問題を前にして、ケアマネにはいくつもの“解決策”が浮かぶことがある。そのうちのどの方法をとればいいのか、それは利用者のためか、その家族のためなのか……正解のない選択肢をいつも探しまわっている。