娘を仕事先に置き忘れて帰る

子どもの預け先も、信頼できる保育ママや専業主婦の友だちなど、いざという時に頼めるところを3カ所ほど手配していた。近所の主婦に「いつでも預かってあげるから」と言われて安心していても、いざお願いしようとすると「熱がある子を看ないなんて、母親じゃないわ」と冷たく返されたことも。働く母親への風当たりは強かった。

小林照子さん
撮影=遠藤素子

「まさに綱渡りの日々でした。どこへ電話してもダメで、娘を仕事先へ連れて行ったこともあります。でも、そのまま置き忘れてしまい……」と小林は苦笑する。

ホテルで会合があり、子どもを連れて行った日のこと。館内で一人遊んでいた娘は会合中の部屋へ来て「お金をちょうだい」と言い、10円玉を2つ渡すと、ずっと戻ってこなかった。小林も仕事に集中するうちに忘れてしまい、夜になって帰途に就く。ふと同僚に「今日、お子さんを連れていなかった?」と聞かれ、慌ててホテルへ引き返す。フロントに確認すると娘は新婚夫婦と卓球していたことがわかり、彼らの部屋へ電話すると、娘はベッドで眠っていた。丁寧に詫びて、家へ連れ帰る途中、熟睡する娘が抱えるバッグを開けてみると、生理用品が2つ。娘はトイレで気になって、母にもらったお金で買ったらしい。3歳頃の出来事だった。

鍵っ子は哀れなのか

「幼い娘が不憫で『ひろみ、ごめんね!』と罪悪感を覚えることはありました。働く母親は子どもを犠牲にしているのではと悩むけれど、子どもは必ず成長して親から離れるときが来ます。今は家にいて『おかえり』と迎えてくれ、ケーキを焼いてくれる母親を求めているとしても、娘にとって何がいちばん大事かを考えたのです。私は抱きしめて話を聞いてあげることを心がけ、小学校へ入って鍵っ子になると、毎日冷蔵庫に『おかえり、ひろみ』とメモを貼って、おやつを用意して出かけました。夏休みには遠すぎて帰国できないブラジルから留学してきた女子学生に来てもらうとか、娘も寂しくないようにあれこれやっていましたね」

それでも苦い思い出があった。あるとき地元のタウン紙に『鍵っ子、哀れ』という記事が載っていて、夫が「ひろみと同じような子がいるんだな」という。読んでみると、赤いランドセルを背負った女の子がある家のベルを鳴らし、「トイレ、貸してください」と頼んだ。家の人が招き入れると、きょろきょろ楽しそうに家の中を眺めて出て行き、目の前の家に帰っていく。その子の母親は何をしているのか、鍵っ子は哀れ……と綴られていた。

「もしやうちのことが投稿されたのではと気づき、娘を呼んで『○○さんのおうちへ行ったことある?』と聞くと『あるよ』と(笑)。さらにもっと大きな門構えの家に入ったこともあるといい、『その家にはオウムがいて、コンニチハってしゃべるんだ』と嬉しそうに話してくれる。本人は好奇心いっぱいで、いろんな家へ行っていたんです。『トイレ貸してください』が家に入れてもらうのに効果的な言葉だと学んだのね。だから、たくましいの」