「胃がん、認知症」連続して大病を患う父親を全力サポート

帰郷して7年たった2001年8月。蜂谷さん(当時35歳)が経営する美容室は軌道に乗っていた。ところがある日、悪い知らせが届く。74歳の父親が胃がんになり入院したのだ。幸いステージ1だったが、開腹手術を行うことに。

蜂谷さんが暮らす土地には、近隣に両親の親戚一同が住んでおり、父親が手術すると聞くと、当日、病院に10人以上の親族が詰めかけた。

しかし、9月に退院できるはずだった父親は、嘔吐が続き、再手術となるが、再手術後も嘔吐は止まらず、再々手術に。医師にも焦りがにじんでいた。父親は20キロ以上も痩せ、認知力も低下。その間、2歳になっていた蜂谷さんの息子が気管支喘息で入院し、病院に泊まり、病院から美容室に出勤した。

患者のために人工呼吸器の設定を行う医師の手元
写真=iStock.com/TAO EDGE
※写真はイメージです

そして11月のある日、父親の病院から美容室に、「お父さん帰ってきていませんか?」と電話がかかってきた。蜂谷さんは一瞬「?」と思ったが、「いませんよ」と返事をする。だがその直後、点滴を2つもぶら下げたままの父親がタクシーから降りてくるのが見えた。

蜂谷さんはすぐに病院へ連絡。父親は4カ月に及ぶ入院で「家が恋しくなった」と言った。認知症が進んでいることは誰の目にも明らかだった。

悪いことは重なる。2歳になった息子が気管支喘息に続き、マイコプラズマ肺炎で入院することに。認知症の父親と息子の入院付添と、仕事の切り盛りとで疲れ果てた蜂谷さんを見かねた夫が、仕事を休んで息子に付き添ってくれた。

一方、母親は、「お父さんが死ぬのに、こんな古い家では葬式ができない。家を建て替える」と言い出し、父親の保険を解約してしまったかと思えば、今度は伯父(父の兄)に大金を渡してしまい、母親自身はそのことを忘れて蜂谷さんを泥棒呼ばわりする。

11月末。父親は退院となったものの、嘔吐の症状は変わらず。マメに動く人だったが、毎日横になり、寝ていることが増える。そしてヘビースモーカーの両親は、何度か寝タバコをして畳を焦がした。

さらに心筋梗塞、脳梗塞になった父親を母親は一切世話せず

2004年。叔母(母親の妹)と出かけていた母親(当時70歳)が、帰宅するなり喋り方がおかしい。蜂谷さん(当時33歳)が病院へ連れて行くと、母親が受けた診断は脳梗塞。2週間ほど入院することになった。

この頃、蜂谷さん一家は、実家を2世帯住宅に改築しようとしていた。夫と共に家の打ち合わせに行くが、夫は通信ゲームに夢中。打ち合わせがゲームのために中断されることもしばしばだった。

2005年2月。新しい家が完成。母親は、脳梗塞の後遺症はほとんどなかったが、仮住まいに移る日も新しい家に移る日も、韓国ドラマに夢中で何ひとつ手伝わなかった。

同年4月には息子が小学校へ入学した。

翌月、父親が心筋梗塞を起こし、内視鏡手術となったが、母親はやはり我関せずを決め込む。母親は昔から、近所の葬儀の手伝いなど、自分がやりたくないことは全部父親に押し付けていたが、父親に押し付けられなくなると、蜂谷さんに押し付けるようになった。

父親は無事手術を終えたが、再び病院を抜け出す。

蜂谷さんはケアマネジャーに相談し、父親の介護認定を打診。介護認定検査に連れて行くが、「待ち時間が長い!」と言って父親はつえを振り回す。ようやく検査を終えて帰路に就いたが、父親は車の中でも暴れた。

結果、父親は要介護3。すぐにデイサービスへの段取りをつけてもらう。