バブル経済が崩壊した1993年、東京で美容師として働いていた26歳の女性は、親から帰郷を命じられる。以来、束縛の強い両親に従い続け、心身のケアをしている。父親はがん、心筋梗塞など大病を患うが、母親は一切世話をしない。母親は娘(女性)が妊娠8カ月の際には、突如「あんたは私の子ではない」と衝撃告白。崩壊寸前の家族に何があったのか――(前編/全2回)。
妊婦さんがお腹に手を置いて
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この連載では、「ダブルケア」の事例を紹介していく。「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。子育てはその両親、介護はその親族が行うのが一般的だが、両方の負担がたった1人に集中していることが少なくない。そのたった1人の生活は、肉体的にも精神的にも過酷だ。しかもそれは、誰にでも起こり得ることである。取材事例を通じて、ダブルケアに備える方法や、乗り越えるヒントを探っていきたい。

六本木で美容師をしていた女性が両親に帰郷を命令され、束縛される

「あんた、もういい歳なんだから、いいかげん帰ってきなさい!」

1993年の秋、当時26歳の蜂谷歩美さん(現在54歳)が働く東京・六本木の美容室に、母親(当時59歳)から電話がかかってきた。

「ちょうど仕事が楽しくなってきていた頃で、実家になんか帰りたくありませんでしたが、タイムリミットだと諦めました。優しい職場の方たちは、みんなで私を胴上げして見送ってくれました」

翌年、蜂谷さんは実家へ帰り、すぐに地元の美容室で働き始める。帰宅は毎晩夜の9時ごろだったが、必ず両親の近くまでいって「ただいま」と挨拶をしなければならず、残業で遅くなるときは、蜂谷さん自身ではなく、経営者から電話を入れないといけない。

両親はとにかく束縛がきつく、娘を自分の思い通りにしようとした。特に、当時66歳の父親は、蜂谷さんが忘年会などで帰りが午前様になっても居間で待っているような人だった。

1995年、蜂谷さんは29歳で自分の店をオープンする。母親も美容師だったが、開店休業状態の自宅兼店舗を改装し、店名も変えた。

開店すると、両親は店に関わりたいのか、勝手に来て客に話しかけたり、客に軽食を出したり、客の自転車を磨き始めたり。「迷惑だからやめて」と説得してもやめない。

ある日、母親がアシスタントの女性にシャンプーをさせていたので蜂谷さんが注意すると、母親はビンタを2発食らわせた。それでも我慢するしかなかった。