1999年、45歳の夏、藤本すすむさんは秩父観音巡りをしていた。3日目、カタクリが群生する墓地の横を通りかかると、その片隅にひっそりとたたずむ慰霊碑に気づく。第二次大戦時にフィリピンで戦死した兵士たちのために建てられたものだった。
「雨上がりの陽を受けて、御影石が光っていました。碑文を読んでいくと、復員後の父の従軍体験と重なるところも多く、涙が頬を伝わってきたことを覚えています……。その感動を歌にしたのが『カタクリの花』です」
藤本さんは、この曲を都内のライブハウスでの演目に加え、一昨年リリースしたCD『歌を歩く』にも収録している。歌の合間に碑の全文と父親からの聞き語りをはさんだ作品は評判を呼んだ。
藤本さんは、地味であっても観音巡りを続けるという、これまでの自分のスタイルに確かな手応えを掴む。
中学生のとき、兄の影響でギターを始める。ラジオの深夜放送に耳を傾け、フォークソングに心を奪われた。そうした少年のご多分にもれず、高校時代は音楽部に所属、仲間とグループを結成。文化祭で歌い、観客と一体になれるステージの醍醐味を知る。
大学に進学すると、音楽にますます熱が入った。フォーク研究会に所属し、グループで参加したヤマハのポピュラーソングコンテスト東京地区大会で入賞し、最優秀作詞賞も獲得した。卒業後はプロをめざし、当面の生活費を稼ぐために、さまざまなアルバイトをこなしたという。
「でも30歳の声を聞き、このままでは遠回りだと気づいたんです。一念発起して、会計事務所に勤務。スーツにネクタイ、年度末の繁忙期は泊まり込んで確定申告の書類作りに追われました。89年には行政書士試験に合格し、税務以外の官公庁に提出する書類作成業務を請け負ったのです」
会計事務所に勤務するサラリーマンと行政書士の二足のワラジである。さらに、こうした仕事の合間に、詩を書き、曲を作った。稼いだお金でライブも行い、CDの自費制作も試みた。40歳で会計事務所を退職し、行政書士として一本立ち。
現在のクライアントの多くは、ライブ活動などを通じて知り合った人たちだという。
「昨年は、民間の文化交流に参加し、イスタンブールで歌ってきました。オリジナルの詩をトルコ語に訳したりして……。異国の人が自分の曲に拍手をし、喜んでくれる。歌い続ける自信になりました。プロ歌手への勝負はこれからですよ」