「ビジネスパーソンの“計数感覚”を養成すること。それが私のドメインです。計数感覚とは、企業活動と会社の数字の因果関係を理解できる能力のことで、いわばその指南役です」
千賀秀信さんは、名刺の肩書に経営アドバイザーと入れている。講師として講壇に立つセミナーの受講生や、すでに数冊を数える著作の読者にヒントを与え、やる気を引き出し、それぞれの仕事での方向性を与えるのが、みずからの役割だと話す。
その土台になっているのが、彼のこれまでのキャリアにほかならない。1995年、公認会計士・税理士専門の情報処理会社での18年間のサラリーマン生活にピリオドを打った。そして、不惑を越えた年齢で中小企業診断士の取得を目指す。収入を断っての挑戦は、見事功を奏した。
サラリーマン時代は、財務会計・経営管理のシステム開発に携わり、顧客である会計事務所や企業相手に売り込んだ。部長時代には社員教育も担当。そうした企業活動全般に通じた千賀さんの話はわかりやすい。
「私の原風景に、小さなテーラーを営んでいた父の姿があります。腕のいい職人で、大手企業の役員や弁護士などが主な顧客でした。そんななかの誰かから『これからは資格、資本、技能のどれかを持たなければ生き残れない』と聞いたそうです」
モーレツ社員がもてはやされた昭和40年代、千賀さんが中学生の頃のことだ。それが脳裏に刷り込まれたのかもしれない。大学は商学部に進み、税理士をめざしたことも、今では懐かしい思い出だという。
それだけに、独立に迷いはなかった。引き金になったのは、会社が主催した経営者セミナーで講師をしたときの反応だった。中小企業経営のツボを押さえた千賀さんの話に、ある社長が「千賀さん、本は書いてないの?」と尋ねたのだ。新鮮な驚きだった。
「会社という狭い組織ではなく、外部から必要とされたことが嬉しかったんですね。他人の役に立っているという実感でもありました。2000年には、1冊目の本が出せました。私の大きな転機だったと思います」
いまや活動範囲は、話す、書く、そしてアドバイスするという広範囲に広がった。もちろん、この仕事に定年はない。
「求められる限り続けたい。コンサルタントとしての仕事もありますが、ビジネスマンを元気にしたい。ビジネスマンの“駆け込み寺”になれたら本望です」と、千賀さんは笑う。