「人間だけが、死を自覚する唯一の生物です。何のために生き、そして何のために死ぬのか。4月から新たに始める講座は『死とこころの科学』。学部の学生よりも、通信制で学ぶ団塊世代に人気です」
日本福祉大学の福祉経営学部・通信教育部教授の竹下隆さんは、快活に話す。自説を一本調子で話し続ける、いわゆる大学教授とは違い、時にはユーモラスに時には言葉を選び、相手を飽きさせない話し方をする。長年のサラリーマン経験によるものかもしれない。
専門は心理学、産業心理学、環境社会学。3月には『デス・エデュケーションのすすめ』(萌きざす書房)を上梓。そのまま訳せば、“死の教育のすすめ”となるが、新講座の教科書に使っていく。
大阪大学文学部哲学科で心理学を専攻。首席で卒業して三洋電機に入社。広報部長、営業部長を務め1998年に60歳で定年退職する。
50歳を過ぎた頃、ゴルフをやらずに土日を勉強に費やすようになった。「子供が成長し、やりたいことをやれる環境が整いました」。定年までの10年間に、社会心理学関係の論文を7本書き、学会で発表していく。59歳のとき、知人から声がかかり関西学院大学社会学部で非常勤講師となった。講義の日は、それまでで使い切れていなかった有給休暇を活用した。
定年と同時に、今度は大学時代の関係者の紹介で、福井県にある原子力安全システム研究所の客員研究員も兼務する。さらに2000年、サラリーマン時代に知己を得た他社の先輩の紹介により日本福祉大の経済学部経営学科(当時)教授となった。ちょうど介護保険制度が施行され、大学は福祉ビジネスの視点を持てる教員を探していた。
これで、“三足のわらじ”だが、やがて四日市大学総合政策学部でも非常勤講師として教鞭を執る。実に“足のわらじ”生活となり、部長時代の収入を超えてしまう。大変だったのは移動。名古屋駅近くにマンションを借り、西宮、福井、知多郡、四日市、そして自宅の横浜とを行き来していた。さすがに四足を続けていくのは厳しく、関学と原子力研の仕事は整理。いまは中部の2大学に専念している。
「サラリーマン時代と一緒で、労働と納税の義務を果たしてます。ただし、サラリーマンと違い、大学教授には個人の実力が必須。中途半端な人は苦労します」
学生の教育とともに、研究者として毎年の学会発表は欠かしたことがない。
「定年退職する団塊世代は、自分の権利を生かし学生時代のように明るく楽しくやるべき」と提言する。