本当に日本人の民度は高いと言えるのか?
一方、現代人、とくに日本人は、自分の頭で考えることができず、自分の力だけでは生きていけない。正確に言えば、本当は自分の力で生きていけるかもしれないが、自分で生きていけないようなところに追い込まれていったのだ。
昔の人は、自分で井戸を掘って、野菜をつくり、ニワトリを飼って、それでなんとか生きていけた。当然、地震や豪雨とかの自然災害が起きたら困るけれど、村人や近隣の人が総出で新しい井戸を掘り、それでうまく掘れたら「やった!」とみんなで喜ぶ。
そうやって地域が協力して生きていた。こうした生活では村八分がいちばん怖く、村八分にされると自分の家の屋根の藁も葺けなくなってしまう。生き死にに関係した。現在は村八分にされても金さえあればまったく困らない。そのほうが面倒な人間関係がなくてありがたいという人もたくさんいる、自己家畜化から脱するために日本の村落共同体の伝統は、共同体が自立するためには、個々人が一人で自活するのは大変だから、少数のグループをつくって困ったときは相互扶助しようというものだった。
そういう伝統が戦後しばらくは日本にもあった。私の家も小学生ぐらいまでは貧乏で、うちだけじゃなく周りもみんな貧乏だから、夕飯時に「あ、醤油がない」となったら隣から醤油を借りる。「すみません、醤油切れちゃったんでちょっと貸してくれませんか」と醤油の瓶ごと借りてくると、チョチョチョンってかけて「すみません、ありがとうございます」って返してくる。
電話は地主さんの家にしかなく、誰かからかかってくると、「池田さん、電話だよ」なんて呼びに来てくれて、こっちは「すみません」と飛んでいく。地域社会では何かあったらここへ電話して呼び出してくれという扶助システムがあり、地主さんもそういう電話の取り次ぎが半分義務みたいになっており、それで何も問題がなかった。
相互扶助が嫌だという人もいるけれど、そういうシステムにしなければ生活できなかったんだよ。現在でも若い世代で限界集落に移り住み、物々交換のような相互扶助生活を送っている人たちがいる。
それは権力にとって恐ろしいことなので、なるべくなんらかの大義名分によって国民の自立を阻止しようとする。たとえば、政府がやっている地域再生制度というのは特産物の開発や観光促進などで、結局は拝金主義なんだ。お金を呼び込むためにやっている。
そんなやり方では家畜から抜け出せない。現金がなくても生きていけるから自立であって、だからこそ革命的なんだよ。
「お金を稼ぐこと=自立」脱自己家畜化できぬ日本人は絶望的に民度低い
自己家畜化を脱するためには自分たちの力で生活していけるシステムを小さな集団でつくるのがいちばんいいのだけれど、多くの人はお金を稼ぐことが自立だと思っている。それでは自己家畜化から脱することはできない。そういう意味では、もう絶望的に民度が低い。
けれども、政治家側に立てばこんなにコントロールしやすい国もほかにない。法律で決めたわけではないのに、みんな政府の言うことに唯々諾々と従い、(コロナ)自粛期間中は大半の人が出歩かなかった。私自身は歳だから出歩かなかったけれど、様々な事情で出かけなければならない人もいる。しかし、出歩くのがよくないという風が吹いてきた途端に、みんなでバッシングするのだから、本当に情けない国だと思うよ。