目新しさと勢いで先輩芸人を負かしていった

なによりうれしかったのは、M-1でもいいところまでいけるだろうと講師からお墨付きをもらえたことだった。

当時もいまも、M-1グランプリといえば、お笑いを志す者たちの登竜門として君臨するコンテストだ。そのM-1でいいところまでいけると言ってもらえたのだ。それはつまり、このままうまくやればデビューまで漕ぎつけられるということにほかならない。

ひそかにガッツポーズをした。もちろんプロの道は厳しく、デビューできたからといってそこから生き残れるかどうかはまた別の話だが、まずは芸人の世界に潜り込めるかどうかが勝負。ぼくらはそこに全神経を集中させていた。道筋が見えたのなら、とにかくうれしい。

それからほどなくM-1にエントリーしたぼくらは、講師の予想どおり、順調に勝ち進んだ。まだNSC生であるにもかかわらず、予選を突破し、本選へと駒を進めた。

百戦錬磨の芸人たちに交じったぼくらの武器は、目新しさと勢いだ。ネタのバリエーションの少なさは、経験が不足しているからしかたがない。結果、ぼくらは準決勝まで進むことができた。そこで力尽きたのは、その時点での実力と言っていいだろう。

目指すは優勝だったので喜びも半分ではあるけれど、大会を通して広く名前を知ってもらうことはできた。

NSCを卒業したぼくらは、そのまますぐテレビに出演することができ、「武勇伝」と名づけたデビューネタは、ちょっとしたブームを巻き起こしていくこととなった。

ネタの精度より大事なことは「演者の自信」

それにしてもぼくらのデビューネタとなった「武勇伝」は、どうしてあんなにウケたのか。なぜあのころの自分たちに、ブームを起こすようなネタを生み出すことができたのだろう。はっきりとした答えは、自分のなかを探っても見出すことができない。

もうひとつ遡って、学生時代の学園祭で初めてお笑いの舞台を踏んだときも、まったく経験がなかったというのになぜそれなりにウケをとれたのか。

お笑いコンビ・オリエンタルラジオの中田敦彦さん
撮影=黑田菜月

緻密な計算のもとに高い成功確率が割り出され、それを実行したまでのこと……と言えればいいが、まったくそんなことはない。学園祭も「武勇伝」も緻密な計画を立てられていたとは言い難い。けれど、「これならいける!」というイメージを強く抱いて、そこへ向けてできることをすべてやったというプロセスは共通している。

単純な話、準備を尽くしたかどうかが、ひとつの分かれ目ということである。そのステージに向けて、どれだけ真摯に向き合い、全精力を傾けたか。できることをすべてやり尽くしたと、心の底から言えるかどうか。あんがいそんなことが最重要だったりするのだ。

本当のところをいえば、だれのどんなネタだって、真の「おもしろ度合い」なんて測りようもない。人気の定番ネタ、一世を風靡したネタは数多いけれど、そういうものは純粋なネタのおもしろさとしてもちゃんと最上位になるだろうか?

好みや時代も関係してくるものだから一概には測れないだろうし、あらためて内容や完成度をチェックしてみれば「それほどでも……」というものだってけっこうあるではないか。

つまりは、ひとに受け入れてもらえるか、笑いを生み出せるかどうかは、ネタそのものの精度ばかりとは言い切れない。ではなにが分かれ目になるのかといえば、やりきった感の末に漂ってくる演者の自信のようなもの。それが大きく作用していそうだ。