思い切って型を破った先に光明が差した
勢いと元気だけは絶やさぬようにと演じ切ってみた。すると、講師の反応は意外なものだった。
「これは……。やっていけば、なにかあるかもしれんな」
しかも、だ。開き直り具合がぼくより進んでいた慎吾は、ネタをしながらふざけまくって、フレーズの言い回しでかなり遊んでいた。「すぅごいなぁ!」みたいに。
そんなナメたしゃべり方して、コイツは怒られるぞ……、と思っていたら講師は、「君だけ、なんかノリ悪いんじゃない?」とぼくに向けて言ってきた。ああそうか、これくらいやってしまえばいいのか。乗り遅れた自分を反省した。もっともっとリズムよくやってみたら、新しいネタのかたちになるんじゃないのかと、講師は指摘してくれた。
これは大きな提案だった。いわゆるいまでいう「リズムネタ」という方向性を試みてはどうかということだ。新しいかたちを自分たちが生み出せるかもしれない。そのアイデアに、ぼくらは夢中になった。
それからの数カ月間、思いがけず好評だったネタのブラッシュアップに、ぼくらはほとんどの時間を費やした。ほどほどいい具合に「セオリーなんて無視していこう!」という精神が働いていたのは幸いだった。定型をはみ出していった先に光明が差したわけだから、どんどん新しいことに挑戦していけばいいと、前向きな気分で取り組めた。
ワクワクしながら作らないと観客を楽しませることはできない
ウケがよかったのは、リズムよくやったからだ。だったらいっそ、歩き方もひとつひとつの身振りも、全部まるごとダンスみたいにしちゃおうぜ。
じゃあしゃべり方もラップみたいにしてさ。決めゼリフと決めポーズは歌舞伎の「見得」とかヒーローもののポージングを真似しちゃおう……。
こうしよう、ああしたいというアイデアが、ふたりのあいだを勢いよく飛び交った。
いい兆候だった。自分たちがワクワクしながらつくったものでなければ、どうして観てもらうひとを楽しませることができようか。
同時に、人様に観てもらうものなんだから、よくよく考え抜き、練り上げて、熟成させた技に仕上げるのが演者の責任でもある。アイデアを一本のネタというかたちにしていきながら、どうやったらよりお客さんに伝わるだろうかということも、自分たちなりに考え抜いていった。
そうしてあらゆる方面から磨きをかけたネタを、ぼくらはまたNSCに持ち込んだ。
ネタ見せの場で披露すると、教室にいたほかの生徒たちからも大いにウケた。講師陣の反応も上々だった。