天才が明かす悩みの処方箋

加藤一二三が名人となった1982年7月31日、東京・千駄ヶ谷の将棋会館の外は大雨だった。

元将棋棋士 加藤一二三氏
将棋棋士 加藤一二三氏

中原誠名人に挑戦した加藤の将棋は、九分九厘負けだった。しかし、圧倒的不利だった加藤に、一筋の光が差す。それが歴史に残る「3一銀」である。これで中原玉は即詰みとなり、加藤は名人となった。

「神の秘蹟ですよね。それが何年もの月日を経て3一銀が見つかったということです」

忘れてならないのは、加藤が42歳で名人になるまでの道のりはあまりに長い遠回りだったということだ。

「将棋は四段からプロですが、当時最年少の14歳7カ月で私は四段になりました。奨励会の顔ぶれはわかっていて、そんなに強敵もいませんでしたし、『プロ棋士は確実』という自信もありました。そして、トップ10人で行われるA級八段リーグ(優勝すれば名人への挑戦権が得られる)に18歳で入りました」

誰もが神武以来じんむこのかたの天才・加藤一二三が次世代の名人となることをつゆほども疑っていなかった。そして20歳で大山康晴名人に挑戦するが、加藤は1勝4敗で完敗した。

「敗因は、そこまで名人に執着していなかったということです。まだ挑戦する機会はいくらでもある。努力すればそのうち名人になれると、どこか安易な思いがありました」