難局を乗り越えた芸人は共感力が増幅する
しかし、逆に言えば「芸能に携わる人間」には、それだけの「覚悟」がないと全うできない仕事だという点が、コロナ禍で浮き彫りになったのではないでしょうか? 「残存者利益」というか、やはりガマンして残った人間にもたらされる果実は確かに存在します。
立川流においては、おおむねこれが該当しています。直弟子は現在20名以上にもなりますが、「一瞬でも弟子としてカウントされた人数」は100名以上にもなるはずです。私が前座の頃、新弟子として認められた弟子が師匠の新幹線の見送りに遅れたことでキツく注意されてすぐに辞めてしまいました。大雪の日に弟子入りし、「こんな日も来なくてはいけないのですか?」と驚いてしまい、次の日から来なくなってしまった者もいましたっけ。
とまれ、この難局を乗り越えた芸人は「人の痛み」に対する共感力も増幅しているとも言えますので、長い目で見ればいい修行であり芸を磨くことになるはずです。「コロナの影響なんて痛くも痒くもない」と言っている人に、人を心の底から笑わせたり、感動させたりするなんてできないはずですもの。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の中の一節「寒サノ夏ハオロオロ歩キ」に隠された深い意味がなんとなくわかってくるようになったのも、コロナの影響かもしれません。
落語配信はまだ苦しいが、オンライン落語会では手ごたえ
さて、以上を踏まえて、コロナ後に残ることのできる人やコミュニティを想像してみますと、「急激な変化に対応できること」が大きな条件として挙げられそうです。
本来ならば時間をかけて10年単位で変えて行くべきものが、一気に変わっていってしまった感があります。その代表例が「オンライン化」です。未知なるウイルスが社会構造を変換させた事例です。
私も「Facebookライブ」などの自宅からの落語配信を先々月から始めました。無観客というのは逆に今までお客様に救われていたという実感と反省をもたらします。また直接の笑い声などは聞こえなくても、即座に「いいね!」を押してくださるとそれによって自分もますます乗れるなど双方の信頼関係の可視化を確認できることもだんだんわかってきました。
まだライブでの展開は「満席の座席数の半分」しか入れられない苦しい状況は続いてます。
一方で、「オンライン落語会」には可能性を見いだしています。先日行った「Zoom」でのオンライン落語会では双方向通信の強みを生かし、「お客さん側での笑い声は届けられなくても笑顔は見られる」という部分にフォーカスして語りを進めてゆくのもありだなあと、手ごたえを十二分に感じることができました。
悪戦苦闘は落語家ばかりではありません。日本中が、いや、世界中がその渦中なのでしょう。