「虚無は実在する」──87歳になった石原慎太郎氏の言葉は、「死」についての、そんな謎めいた表現から始まった。世界中が「命」と真剣に向き合う中で聞いた、「人間の一生」とは。

死線を越えた人間のみが味わえる実感

今から7年前、私は脳梗塞で入院しました。幸いにも早期発見だったため、利き手の左手だけは麻痺したものの、言葉は明瞭に話せたし、すぐに歩くこともできました。

1932年、兵庫県神戸市生まれ。神奈川県立湘南高校、一橋大学卒業。大学在学中に執筆した『太陽の季節』で芥川賞受賞。68年、自民党から出馬し参議院議員に。元東京都知事。『法華経を生きる』『老いてこそ人生』、ミリオンセラーとなった『弟』など、著書多数。
1932年、兵庫県神戸市生まれ。神奈川県立湘南高校、一橋大学卒業。大学在学中に執筆した『太陽の季節』で芥川賞受賞。68年、自民党から出馬し参議院議員に。元東京都知事。『法華経を生きる』『老いてこそ人生』、ミリオンセラーとなった『』など、著書多数。

しかし梗塞を起こした場所が記憶を司る海馬の近くであったため、一時は文字というものをすべて忘れてしまいました。また文字の記憶が蘇ったのちも、左手に麻痺が残ったので、字をうまく書けないという時期が続いたのです。もっとも、右手のほうは使えたので、入院中はワードプロセッサーを使って短編小説を書き上げるという新しい経験をすることはできたのだけれど。

この病は私に、人生で初めてといっていいほどの巨大な喪失感をもたらしました。大病をすると、己の死期が近づいていることを嫌でも自覚しないわけにはいきません。するとそのことによって、ものの見方や考え方にも変化が生じるものです。日常茶飯に思っていたものが非常に新鮮に見えるようになり、たとえば廊下を這っている小さな虫をスリッパで踏みつぶそうとも思わなくなりました。かろうじて生きている者同士としての共感があるからでしょう。

今は毎日、床に就く前に「今日も無事に一日が過ぎた」と振り返り、就寝中に急死した友のことを脳裏に描きながら「今晩あたり、寝ている間に死ぬかな」と目を閉じます。こういう実感は、死線を越えた人間でなければ味わえません。1度倒れて死に損なう経験をすればわかります(笑)。健常な年若い人には想像もできないでしょう。