聖徳太子から『坂の上の雲』に連なる日本人の源流とは
日本の歴史小説を語るうえで、司馬遼太郎さんの作品は外せません。
あえて一冊を選ぶとすれば、私は『坂の上の雲』を挙げたいと思います。
主人公に山縣有朋でも伊藤博文でもなく、または東郷平八郎でもなく、秋山兄弟と正岡子規を持ってくるところに「明治」を描こうとした司馬さんの凄さがある。独裁者不在の成長社会を描くうえで、これほどまでに考え抜かれた人選はないでしょう。
ところで明治という時代、日本人は外国の文化を吸収し、アジアでいち早く近代化を成し遂げた国となりました。西洋の技術や制度を素早くデッドコピー(丸ごと完全コピー)できた理由として、外来の文化が「体制にどのように影響を与えるか」を議論する必要のない日本人の価値観があったと私は思います。そして、その日本人の精神性がどこから来たのかを考えるうえで、重要なのが聖徳太子の思想です。
仏教が入ってきた古代の日本では、王朝がとても危うい立場にありました。
仏教とは宗教であると同時に、工学や組織論などを含んだ文化体系です。それを否定することは文明の否定に繋がり、ひいては帰化人を尊敬した豪族たちの反発を食らいます。
一方でこれまでの神道を否定するわけにもいかない。天照大神を皇祖神とする天皇家の根拠が消えてしまうからです。その葛藤を、聖徳太子は神仏の両方を信仰する習合思想によって克服したのです。
この習合思想はその後の日本人の価値観に沁み込み、独自の文明をつくり上げることができた要因となりました。前述の『坂の上の雲』においては、プロシアから近代軍隊の形を取り入れていく過程などに、そのことが見て取れるでしょう。
漫画『日出処の天子』は
ホモでオカルト趣味で殺人者!? なのに魅力的
聖徳太子についての本はたくさんありますが、山岸凉子さんの漫画『日出処の天子』が私のお薦めです。
本書に登場する聖徳太子像は、ホモセクシャルでオカルト趣味で殺人者、それでいて魅力的、という誰も考えつかないようなものです。それだけでも面白いのですが、当時の事件や各王家の血統なども正確に描かれている。聖徳太子を知る一つの入門書として、最も楽しめる作品だと私は思います。
そして、最後に拙著『俯き加減の男の肖像』で、同じく私が日本人の原点の一人と考える石田梅岩の思想に触れてほしいと思います。
主人公は元浅野家家臣・石野七郎次。彼は忠臣蔵に参加しなかった十字架を背負いながら、浜屋円蔵という名の商人として生きていきます。華やかな元禄から、宝永、享保に至るその時期、円蔵の苦闘を通して、勤勉と倹約を両立させる思想をつくり上げた梅岩の姿を描きました。
彼は高度経済成長から低成長となる社会で、生産性を無視しても倹約と勤勉こそが人格を磨くのだと説いた。
この時代に生じた成長と倹約の間の葛藤は、まさに低成長の今という時代の葛藤と通ずるものがあります。下り坂の時にこそ、ぜひとも読んでもらいたい一冊です。